旧専売池田支局

昨日、徳島県池田町(現在は三好市)にあった建物のポップアップカードをアップロードした。
そのうちの一つが写真の旧専売池田支局だ。

今回はこの池田支局に関することを書こうと思う。

江戸時代、葉たばこは藍・塩とともに阿波の三大産物の一つとして保護育成されてきた。刻み機械の発明により大量生産が可能となり山村の経済を支える重要作物だった。

1896年(明治29)、葉煙草の専売法が公布され、翌年1月から施行された。日清戦争後の国の予算不足を補うため、葉たばこ専売による税収確保をねらったものである。
1897年には池田葉煙草専売所が設置され、池田町と辻町に事務所が置かれた。

この法令では、葉煙草の販売は専売とされたが、刻み煙草の製造については自由だったので、製造業者は専売所から葉煙草の供給を受けて製造販売をすることができた。
1902年(明治35)時点で徳島県内にあった従業員10人以上の煙草製造工場は134ヶ所、そのうち54工場が池田町にあり、県内一の製造地となっていた。

1903年(明治36)、戦費を調達しようとする政府は増税を行ない、煙草については税収を上げるために葉煙草の専売から製造専売へ移行することにした。
そのため1904年4月に煙草専売法を公布し、7月から施行した。

第1条 煙草ノ製造ハ政府ニ専属ス
第2条 煙草ハ政府及政府ノ命ヲ受ケタル者ニ非サレハ之ヲ輸入スルコトヲ得ス
第3条 煙草ハ政府ノ許可を受ケタル者ニ非サレハ之ヲ耕作スルコトヲエス

この法令により、耕作者や売捌き人には罰則を課し、民間製造業者の葉たばこの処分、製造機械や工場の買い上げを行なった。

池田葉煙草専売所は(1899年に池田専売支局となっていたが)1904年(明治37)に池田葉煙草収納所となった。その翌年、収納所内に池田煙草製造所が設置されて工場の官営化を進めた。
井川・貞光・徳島の工場も池田煙草収納所の管轄下となった。

1909年(明治42)、池田葉煙草収納所は池田専売支局と改称、1913年(大正2)には支局内の製造所も合併という形で池田専売支局に含まれるようになった。

1914年(大正3)には阿波池田駅が開業したので、これも製品の輸送に役立った。

1920年(大正9)の10月に新たに工場が建造された。ポップアップカードの建物(以下は「事務所」と表記する)もこの時に建てられたものだと推測しているのだが、竣工年は調べられなかった。もしかしたら工場よりも前に建てられていたのかもしれない。

1962年に刊行された「池田町誌」に、事務所の建物の写真が掲載されているので引用する。

池田町誌は1962年に出版されたのだが、後半に1926年に出版された「池田町誌(上巻)」を再録しているのだ。この写真は、上巻部分の口絵写真として載っている写真である。とすれば、1926年以前、大正時代に撮影された写真ということになる。

背景を意図的に塗ってあるかのように見えて不自然な印象を受けるんだけど、何か加工してあるんだろうか。
他にも大正時代撮影と書かれた写真や絵葉書があるので、ともかく大正時代に建物があったことは間違いない。

戦後の話に移る。1949年(昭和24)に日本専売公社池田支局となった。
その少し前の1947年に撮影された航空写真があるので、当時の建物の様子がある程度分かる。
屋根の形から、矢印で示した建物が、事務所だろうと思う。

この事務所がいつまで存在したのか、資料ではよく分からなかったのだが、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」を見ていたら、同じ年に撮影された2枚の航空写真があり、解体時期が分かった。

こちらは、1968年5月9日に撮影されたもの。

こちらは、1968年11月1日に撮影されたもの。

5月に存在していた建物が、11月には更地になっているのでこの間に解体されたことになる。
この事務所、解体前は池田出張所の建物だったらしいのだが、出張所は1965年に別の場所に庁舎を新築して移転したそうだ。

なお、その後の工場はこのようになった。これは1975年の航空写真だ。

この煙草工場も、1990年には閉鎖され、池田町の煙草作りは終わったのだった。
その後工場は四国JTS電装池田工場として使われていたが、2003年に閉鎖され、跡地は現在ショッピングセンターとなっている。

【参考】
「池田町誌」(池田町/1962)(1926年版を含む)
「池田町誌上巻」(池田町/1983)

歴史・資料

Posted by Sakyo K.