旧県立秋田図書館のその後
前回に引き続き、1918年(大正7)に建てられた旧県立秋田図書館の話である。
前の記事で、建物の正面の形が分かる写真も見つけたことを書いた。
それがこれだ。「秋田県立秋田図書館沿革史 昭和36年度版」から引用した。
正面の窓の形が良く分かる。出入口は左右にあったことや、その上の窓が円窓なのも確認できる。
しかし違和感が大きい。前回の記事の図書館と本当に同じ建物なんだろうか、と感じてしまうくらい。
以前掲載した写真の一部分を拡大して再掲載する。「秋田市案内」(1925)に掲載されていた写真だ。
矢印をつけてみたが、屋根についていたドーマー(屋根付きの窓)、それから屋根の周囲にあったパラペット(という名前でいいの?この手すりみたいなやつ)がなくなっている。
窓枠の色も変わっているようだ。大正時代の写真では窓枠が明るく見える。一体何があったのだろう。
そもそもこの1枚目の写真の撮影年が不明だ。
1961年といえば、まだこの建物は存在しているのでそんなに古い写真を持ちだしてくることもないだろうと思うので、1950年代の撮影かと想像するのだが断定はできない。
「秋田県立秋田図書館沿革史 昭和36年度版」を確認してみよう。
この図書館が完成したのは1918年(大正7)、開館は翌年の6月だ。
1930年(昭和5)には「書架が足りない」という訴えが出ている。天井と書架の間に新たに棚板を作って対応したらしい。
年表の1931年のところに、「昨年から本年度下記にかけて大修理を行なう」との記載が見つかった。書庫の屋根が破損して雨漏りがあり、また本館の屋根の修理も行なったとある。
この時の修理でドーマーを撤去したのだろうか? 本文では触れていないのでこれ以上のことが分からない。
もう少し先を見ていく。
1939年(昭和14)5月、男鹿地震発生。秋田市で震度5を記録し、図書館の書庫にも亀裂が入った。
1952年(昭和27)には、図書館敷地拡張について県に陳情が出された。書庫は満杯で通路にも書架を置き、さらに書庫外にも本が溢れた状態だったという。
この年にも改修工事が行なわれた。外壁の塗装、窓口の拡張、床の貼り替えなどだ。
1955年(昭和30)になると、図書館の東西両壁面の剥落や部材の腐朽が見つかった。壁面を補修し、内部にも梁や柱を増設して補強工事を行なったようだ。
1960年(昭和35)2月に、図書館改築について秋田図書館協議会から県に陳情がなされた。
理由として、
1)建物の老朽化により、利用者の安全が確保できない。また書籍の適切な保管環境を維持できていない。
2)スペースが足りないので、書籍の保管場所がない。閲覧室も狭い。
3)周辺環境の悪化。図書館横の道路の交通量が増え、静かな環境が保てなくなった。
の三点が挙げられている。
同年7月の県議会で、県民会館と図書館を建設することが正式決定した。8月には建設工事の入札が行なわれ、建設予定地(千秋公園の南側)に建っていた県記念館・児童会館の解体工事も始まった。
1961年に出版された沿革史なので、記載はここで終わっている。
「屋根を補修した」ということが述べられているのは1931年の大修理だけなので、そこで大きく変わったと思うのだが、あくまでも推定である。
1931年に大きい工事が行われたのなら、1934年発行の「秋田県立秋田図書館一覧」に記載があるのではないかと思って目を通したのだが、こちらには修理の記録はなかった。
いずれにしろ、1961年には新しい図書館が完成し11月に開館したので、この大正時代に建てられた図書館は役目を終えたのだった。
最後に、1962年の空中写真に写っている(旧)図書館の写真を掲載する。
新しい図書館に移転したのは1961年なので、撮影時は空家だったのだと思う。
ポップアップカードを作るつもりで写真を見ていたら気になってしまったので、この記事を書いた。
次の記事ではポップアップカードの写真を掲載できるだろう…と思う。
【参考】
「秋田県立秋田図書館一覧」(秋田県立秋田図書館/1934)
「秋田県立秋田図書館沿革史 昭和36年度版」(秋田県立秋田図書館/1961)
【関連記事】
「旧県立秋田図書館のポップアップカード」(2024.07.05)
「2代目県立秋田図書館の開館」(2024.06.30)
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません