金沢市立玉川図書館別館(1)
前回の続きである。
金沢城の北側にあった市立図書館は1978年11月末に閉館し、翌年の4月に玉川町に移転し開館した。現在の金沢市立玉川図書館である。道路側から見るとこの建物が見えるが、これは専売公社の煙草工場だった建物だ。

1972年に煙草工場が移転した後、跡地の一部を金沢市が取得して市立図書館を建設した。
煙草工場の建物は大半は解体されたが、一部を残し図書館の別館(現在の名称は近世史料館)として利用している。
なお、図書館が移転した時の名称は「金沢市立図書館」で、1995年に「金沢市立玉川図書館」と改称した。
煉瓦造の別館と接続して本館(設計:谷口・五井設計共同体)も新築されたが、今回の記事ではそちらは扱わず別館の話だけである。
では、敷地となった専売公社煙草工場の様子から見ていこう。
金沢の煙草工場の建設が始まったのは、1911年(明治44)のこと。設計は大蔵省臨時建築部の矢橋賢吉だろうと言われている。建設当時は金沢煙草製造所という名称だった。
建物の種類を大きく分けると、工場・倉庫・事務所・作業場他付属建物の4種類で、工場が煉瓦造り、他の施設は木造であった。
工場が竣工したのが1913年(大正2)10月のことで、事務棟はずっと遅れて1921年(大正10)のことだったという。
空中写真で最初に確認できるのは1946年撮影のものだ。

写真にマークを付けた。赤い丸が工場、黄色い丸は葉煙草や製品の倉庫、星印は工場の事務所である。工場は煉瓦造の2階建てだった。
1962年(昭和37)の空中写真。

煉瓦造の工場は変化がないが、南側は改築された。上と同じく赤丸が工場で黄色い丸は倉庫である。新築の工場棟には食堂などもあった。
1972年(昭和47)年10月2日、日本専売公社金沢工場(金沢市 米泉 町)が完成し、工場は移転した。

この写真は移転直後のものだが、工場は移転してもまだ事務所としては使われていた。自動車が止まっているのが見える。1962年の写真とほとんど変わっていない。
続いて1975年の空中写真。

1973年から工場の解体が始まった。この時点では敷地はまだ専売公社の所有である。
専売公社は敷地の西北側を更地にし、新たに事務所(星印)を建てて利用を開始した。
さて、1973年に金沢市は市立図書館の改築を決めた。
1976年に旧専売公社工場の跡地の一部を取得して、新たに市立図書館を建築した。

それが黄色で囲んだ建物だ。北側の棟は旧煙草工場の外観を活かしたものである。
1977年(昭和52)10月着工、1978年11月に完成した。(開館は1979年4月。)
空中写真は1982年のものなので、完成後4年経ったところだ。
この時点では専売公社の倉庫や工場はすべて撤去されており、残っているのは専売公社金沢支局の事務所だけである。南側の敷地は1979年に県立の玉川公園として整備された。

上の写真とほとんど変わっていないが、カラー写真があったので掲載しよう。
1997年の撮影だ。専売公社は1985年に民営化されたので、この時点では日本たばこ産業金沢支店となっている。それから図書館も1995年に改名して「金沢市立玉川図書館」になった。
ここで区切りの予定だったのだが、最近の空中写真があったのでそれも掲載しよう。
2024年の空中写真だ。

敷地の西側が大きく変わっている。
時間順に書いていくと、
2008年(平成20)11月、日本たばこ産業金沢支店の建物を利用して、玉川こども図書館が開館した。
さらに2020年(令和2)、金沢市は玉川こども図書館を建て替えることにした。この年から工事を始め、2022年の4月に再オープンしたのだ。
写真で、玉川図書館の西側に隣接している台形の建物が玉川こども図書館である。
それから、その西側にあるのは金沢市立中央小学校だ。
金沢市は2017年に玉川公園北に中央小学校の移転新築を決め、さらに旧中央小学校の跡地(兼六園の北東側)には小将町(こしょうまち)中学校を移転すると決めたのだ。
(さらに書くと、小将町中学校は2023年3月で閉校し、その校舎を今度は兼六小学校が使うというのだから、私には把握しきれない。)
というわけで、2022年4月に中央小学校がここに移転したのだ。
手前が中央小学校で、左端に見えるのが玉川こども図書館である。

別館の話をする予定だったのだが、この敷地の変遷を追うだけで精一杯だった。
玉川図書館別館の写真(外観だけだが)は、次回に持ち越すことにする。
【参考】
「事業統計」(日本専売公社金沢地方局/1954、1957、1972各年度)
「北陸専売事業60年の歩み」(日本専売公社金沢地方局/1982)
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