旧県立秋田図書館のポップアップカード

2024-07-07

旧県立秋田図書館のポップアップカードが完成した。
自分が設計した型紙だけど、正直折るのには少々苦労した。

折りにくいので、型紙を公開するのには向いてなさそうだ。
他にもカードを作ってから、折りやすいものを公開することにしようと思っている。
なのでメインサイトの更新はもう少し後になる予定である。

あ、切り口がきれいではないのに気付いてしまった。ここは正面の中央の窓なのに。

以前掲載した写真を再掲載するので比較していただきたい。

写真は1925年発行の「秋田市案内」からの引用だ。
建てられた当時の華やかな感じは少しは出せたのかな(?)と思う。

カードが完成したので、これで大正時代に建てられた県立秋田図書館の話は区切りがついたのだけれど。

しかし前回の記事で、なんか補修工事が必要だとか収容スペースが足りないだとかマイナスな事ばかり書いてしまった。それが心残りなので、最後にこの図書館の評価を記して本記事を終わりにしたい。

以下は、「秋田県教育史 第6巻(通史編2)」(1986)を参考にして書いた。

大正時代は日本国内の図書館が増加した時代だ。1911年(明治44)に445館だった図書館が、1925年(大正14)には3904館にも増加したのだという。
こういう時代に、2代目の県立秋田図書館の建物は建てられた。
着工が1915年(大正4)の秋で、1918年(大正7)10月に完成した。

特色として挙げられるのは、一般閲覧室のほかに、児童閲覧室と婦人閲覧室を設けたことだ。
県立秋田図書館は、1919年には図書館の入館許可年齢を12歳から10歳に引き下げた。その結果、来館者で一番多かったのは学生だが、それに次いで児童の利用者が多かったのだという。
また、女性の利用者も1914年に5%くらいだったものが1926年には13%に上がっている。

それから、社会教育活動のために講堂や陳列室を設けたことも評価される。これは旧秋田図書館にはなかった特色だ。

秋田図書館は蔵書数も多く、1921年(大正10)の文部省調査によると、全国で5万冊以上の蔵書のある図書館は6館だけだったが、そのうちの一つが秋田図書館だったという。(当時70,330冊。)
同時に文部省は優れた図書館活動をしている7県を紹介しているが、秋田県はそこに含まれていた。

1922年、文部省は図書館を社会教育事業の核として位置づける方針を示したが、それを受けて全国図書館大会でも社会教育活動に対する図書館の開放の方針を発表している。

秋田図書館では1924年に (1) 図書館の民衆化、(2) 社会教育活動の拡充、(3) 独学者への系統的援助、(4) 地方図書館としての機能強化、を掲げた。

秋田図書館の実施したこと。

(1)図書館の民衆化
・市民が入りやすくするため、新聞閲覧室を置くから手前に配置替え。
・会議室に暗幕や展示設備を設置し集会室に改造、講習会や展覧会に利用しやすくした。
・子ども向けのイベントの開催。千秋公園でのキャンプライブラリー、海水浴場での海浜図書館の開設など。
・企業・事業者向けの巡回文庫の実施、(それまでも巡回文庫はあったが、市町村の図書館の充実に伴い利用者が減少していた。)

(2)社会教育活動の拡充
・市民講座の開催。商業講座、講演会、お話し会、展覧会など。
・市民活動組織の育成を図る。婦人読書会など。

(3)独学者への援助
・図書館の特別室を「研究室」に改めた。専用の学習室として利用し、会員になると専門家から直接指導を受けることもできた。

(4)地方図書館としての機能強化
・館報の発行(1926~)。学校や官庁、新聞社、各団体に配布。
・レファレンス・ワーク。図書館職員が質問に解答する活動。1921年から始まった。当時これに取り組んだ図書館は国内で数館だったという。

以上、大正時代の秋田図書館の活動について記した。
この時代からレファレンス・ワークを行なっているのは素晴らしいと思う。

こういった評価を記して締めくくる方が気分が良い。
これを読んだ後では、自分が作ったカードも印象が良くなったような気がするよ。

【参考】
「秋田県教育史第6巻(通史編2)」(秋田県教育委員会/1986)

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