ポップアップカード:旧秋田県記念館

ポップアップカードを作成した。今回のモデルは旧秋田記念館だ。

記念館は大正天皇即位を記念して建てられたものだ。前回作ったカード・県立秋田図書館と同時に計画が進められた。

比較用に、以前の記事で掲載した記念館の写真を載せよう。(1925年発行の「秋田市案内」より)

1912年7月30日、明治天皇が崩御し、大正天皇が即位した。
この年の通常県議会で、明治天皇の遺徳と今上天皇の即位を記念する事業を県で実施することが決まった。
事業として希望があったのは図書館・博物館・物産陳列館の三つだったが、予算的に無理であるので、記念図書館と記念会館を建築することが1914年の県議会で審議された。

議会で、技師が説明をした記録が残っているので、それを要約して記すことにする。

記念館の位置は(1904年に建てられた)公会堂の南側で、集会に使用する大広間は192.5坪(約636平方メートル)あり、これは公会堂の広間より65坪広い。
収容できる人数は、立食なら700人、椅子を使う会食なら528人である。椅子に着席するだけの講演会なら1100人、周囲の桟廊を使えばそこに300人入るので1400人収容できる。
構造は公会堂と同じ木造で工費は65,505円、その他に暖房や装飾、備品などは別予算となる。
(つづけて記念図書館についても説明しているが省略。)

12月20日、県議会は記念館と県図書館の建設を決めた。

設計は県の新林恒治が担当し、辰野金吾が設計顧問として協力したという。
1915年(大正4)10月に着工した。
しかし工事中に事件もあった。1918年4月29日、記念館の隣にあった公会堂が火災で焼失してしまったのだ。ペンキ塗り替え中の失火だったらしい。
記念館には被害がなかったようで、1918年10月31日に完成した。

その後40年以上、記念館は各種の祝賀行事や講演会、音楽会、演芸会等の開催に利用された。

1960年(昭和35)、記念館の土地に図書館と県民会館を建設することが決まり、8月に記念館の解体工事が始まった。

【参考】
「秋田県立秋田図書館沿革誌 昭和36年度版」(秋田県立秋田図書館/1961)
「秋田市史昭和編」(秋田市史編集委員会編/秋田市/1967)