大分市に存在した建築(1)

現在、大分県のポップアップカードを制作中です。
「実際に存在している・過去に存在していた」建物をモデルにしているので、作るからにはその建物のことを知りたくなります。しかし、既にない建物については、いつごろまで存在していたのかよく分からないこともあります。

今回は自分のメモとして、気になる建築について書いていきます。この中から次のポップアップカードも作ろうという訳なのですよ。

まずは(旧)大分市役所。昭和12年刊行の「大分市誌」から写真を引用しました。

写真のキャプションに「新装成れる大分市廳舎」とありますが、1937年(昭和12)の3月に完成したばかりです。

この庁舎ができる前、1917年(大正6)に新築された市庁舎があったのですが、1932年(昭和7)に火災で全焼してしまい、仮庁舎で業務を行なっていました。仮庁舎には常設の消防をおき、自動車ポンプ2台を備えていました。

新庁舎は1936年(昭和11)着工、翌年3月末に本館が竣工しています。鉄筋コンクリート5階建て、正面の中央棟は7階建てとなっており、ここは四方をガラス張りとして火災の見張り所に使ったそうです。

1975年(昭和50)に新庁舎の建設が決まり、この年に当時の市庁舎(旧教育会館、税務部などが入っているプレハブ、そして本館の一部を含む)を解体しました。新庁舎の完成した1977年に、本館は解体されたようです。
(参考:「市報おおいた」1975年5月1日、2011年7月15日)

上に出てきた、火災で焼失した大正時代の市庁舎はこんな形でした。

大正10年に出版された「大分市案内」(九州沖縄八県聯合共進会大分市協賛会編)に載っている写真なのですが、口絵の方には四角の写真を載せつつ、本文ではこんなハート型(花びらかも)に切り抜いたり、いろいろデザインを楽しんでいます。これが大正の気分なのか。


次の建物です。
(旧)大分県教育会館。

1933年(昭和8)の建築です。この建物の隣に1937年に(最初に書いた)市庁舎が建設されたので、両者は並んで建っていたわけです。大分文化会館が建設されるまでは市民ホールとしても使われてきました。
1970年(昭和45)年からは市庁舎として使われましたが、(上でも書きましたが)1975年に解体されました。


次の建物です。
こちらは(旧)大分銀行本店。

大分銀行は1915年(大正4)にこの本店を建設したのですが、恐慌の影響で1927年(昭和2)に二十三銀行と合併し、大分合同銀行となります。

<話がずれます>
大分合同銀行の本店といえば、旧二十三銀行本店だったこの建物を↓

(以前つくったカードです)

思い出しましたが、合併した時に存続銀行は大分銀行として二十三銀行は解散、そして本店建物は二十三銀行の建物を使うことに決めたのだそうです。
で、大分銀行本店だった建物はどうなったかというと、大分貯蓄銀行の本店として使われることになりました。

<話を戻して>
その後あれこれ資料を眺めていたら、大分商工会議所として同じ建物が載っていたので(「大分市誌」昭和12年、「大分市商工便覧」昭和16年)、同じ建物に同居していたのだろうなあと想像します。

大分貯蓄銀行も1943年(昭和18)には大分合同銀行に買収され合併するので、結局また大分合同銀行の建物になったわけですね。

1945年(昭和20)の大分空襲では、外壁を残して内部は全焼したようです。その後いつ解体されたのかは調べられませんでした。
旧二十三銀行本店の建物は同様に外壁を残して焼失したのですが、1949年に補修再建され、1953年から66年まで大分銀行の本店として使われ、現在も残っています。
なお、この「大分銀行」というのは大分合同銀行が1953年に商号を変更したものです。


次の写真は、(旧)大分県庁です。

写真は「大分市誌」から引用しましたが、書籍では建物の周囲に知事さんや部長さんなど5人の写真を配置しているので、申し訳ないですが隠してしまいました。
この大分県庁舎は、「景気のよかった」1920年(大正9)に計画され、翌年に大分市で開催される「九州沖縄八県聯合共進会」準備として着工、1921年(大正10)12月に落成した建物です。
(参考:「大分市誌」昭和12年)

旧大分県庁は空襲で一部を損傷しましたが1965年まで使用されました。跡地には大分文化会館が建てられましたが(1966年)、その文化会館も2014年に解体されました。

私がこのサイトでポップアップカードを作り始めた頃(2002年)は、カードにする建物は明治から終戦まで、と決めていたのですが、それから20年近く経ち、戦後の建築もどんどん消えていく状態なので、最近は戦後建築も気にするようになりました。


さて、文化会館といえば、戦前には「大分県公会堂」という建物があったのです。

1920年(大正9)に当時の県庁正門前に建てられた公会堂…と「大分市案内」に書いてありました。総工費が64,000円、10月に完成したそうですが、詳しいことが分かりません。
1945年の大分空襲で焼失してしまったようです。

別の写真を、大正11年の「大分県協賛会事務報告」の中に見つけたので載せておきます。なんか左部分の形が違う?とか思ったのですが、協賛会の時に設置された門柱の上の装飾でした。ネット上にあまり写真がないので(ほかに絵葉書を見ただけです)、全体のイメージがつかめていない状態です。


今回はここまでにしたいと思います。
早く作品の方を作り、メインサイトを更新しなければっ。

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