旧松本高等学校 訪問記
この3月に「松本市の文化財保護の歩みー旧松高校舎の100年にあたってー」という講演会がある予定だったので、お話を聞きたいと思っていたのです。
ところが、新型コロナウイルスの影響により中止!になってしまったのです。
イベントが中止になってしまったので、旧松本高等学校に行った時の話を書きます。(訪問は1月)
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玄関部分です。
では中に入ってみましょう。
玄関を入ると中央階段があります。これは階段の途中で撮影。写真の右下が玄関です。
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二階から見下ろした中央階段。階段って好き。
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こちらの階段は、本館の南西の角にある階段です。
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廊下の様子はこんな感じです。
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明治27年(1894)の高等学校令によって、それまでの高等中学校は高等学校と改称され、明治41年(1908)までに一高から八高までの学校が開校しました。
大正時代には高等教育の要望が高まったので、大正7年(1918)に高等学校令が改正され、地名を冠した高等学校が全国各地に作られました。
松本も明治32年から高等学校の誘致活動をしていて、大正7年にやっと設置が決まったのだそうです。開校は大正8年の9月ですが、当時は松本城の二の丸にあった松本中学校東校舎を使っていて、この校舎ができたのは大正9年の8月だということです。隣に講堂がありますが、そちらができたのは大正11年8月のことでした。
大正9年2月に出された「松本高等学校一覧」に、校舎の配置図が掲載されています。本館完成は9月ですからこれが出版された時はまだ本館が工事中、講堂や南側の特別教室棟は「予定建物」ということで点線で描かれています。銃器室兼物置と記された建物のみ建築されていたようです。この図では切り落としてしまいましたが、図の左の方には寄宿舎も建築中でした。
(なお、この図は北側が下になっています。)
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竣工当時の様子としては、大正11年に落成記念写真帖が刊行されていますので、そこから写真を引用します。
(「松本高等学校落成記念写真帖」松本高等学校編 大正11年)
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戦後、松本高等学校は信州大学となり、昭和48年(1973)まで使用されました。
昭和52年に松本市が校舎を購入し、当初は南校舎部分を解体する予定だったそうですが、保存の要望があり、現在は「あがたの森文化会館」という市民の生涯学習活動の場として活用されています。
建物は平成19年(2007)には国の重要文化財に指定されました。
復元された校長室と普通教室の二つの部屋は、自由に見学ができるよう一般公開されているので入ります。
校長室。広さは4間×4間の16坪あり、会議などにも使えたようです。
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パンフレットによると、初代校長・茨木清次郎がこの部屋を使ったのは1年2カ月余り(開校直後はこの校舎はなかったので)。大正10年に特別教室棟、同11年講堂が完成して落成祝賀式を行なったのは、二代目校長・大渡忠太郎のときでした。大渡は植物学者でもあり、ヒマラヤ杉の植樹など造園にも取り組んで学校環境を整備したということです。
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こちらは普通教室。
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大きさは4間×5間、当時の普通教室の標準の広さだったそうです。一学級の定員は40名(昭和9~13年は30名)でした。
左に立っている先生のパネルはこんなことを喋ってます。
「ここは高等学校なのだから、ただ教わるのではなく、自ら考えて学びとって欲しい。そして、教室の外ではおおいに羽目を外すこと!」
教室の後ろには、平成30年度(2018年度)の講堂耐震補強工事のパネルが展示されていました。
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講堂は、現在も工事期間中のため見ることができません。
パネルを見たら、工事スケジュールが書いてあり、講堂のⅡ期工事がこの3月で終わるようです。
予定として以下のように書いてありました。新年度から本館の工事に入るようです。
(工事スケジュール:予定)
令和元年度 講堂Ⅱ期工事
令和2年度 本館Ⅰ期工事
令和3年度 本館Ⅱ期工事
令和4年度 本館Ⅲ期工事
令和5年度 本館Ⅳ期工事
ということは、4月からは本館の使用が制限されるのかな。多分、区画を分けて工事をしていくのではないかと想像しますが…分かりません。
外に出ました。中庭の様子。
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なお、本館の隣には、松本市立博物館の分館である旧制高等学校記念館という施設があり、資料が展示されています。入館料310円でした。
こちらは講堂です。入口部分には立ち入り禁止の表示がありました。
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最後の写真は再び、落成記念写真帖から引用した、竣工当時の講堂です。
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予定通りに進めば来年度には公開されると思いますので、中に入ってみたいです。
【関連ページ】
「近代化遺産カードマップ(松本エリア)」(2019.11.22)
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