旧山辺学校

2021-03-20

先日、松本市の旧山辺学校を訪れた。それを機会に、以前作ったポップアップカードを作り直した。

写真は、今回作り直したポップアップカード。軒が出るようにしたのだが、壁とつながる部分が必要なので、写真のように屋根のラインが凹凸になっている。

ちなみに、以前作ったものはこちら。2008年7月に作ったものなので、もう13年近く前になる。これを見ると、多分私は山辺学校の屋根が入母屋になってることを解ってなかった。

今回改めて実物を見て、これは作り直すしかないだろうという気持ちになった。

こちらは実際の旧山辺学校の正面。

今回作り直したポップアップカード。正面から見ると、軒下に穴が開いているのでこれを許せるかどうか。上の方から見ると屋根のプロポーションは前より良くなったので、これで良しとしよう。

建物の前にやってきた。入口が閉まっているのでもう閉館してしまったのかと思ったら、来館者が自分で扉を開けて入るようになっていた。扉の内側にはビニールシートが掛けてあり、コロナ対策のためなのか。

扉の前で靴を脱いでから中に入る。

私は数年前に一度ここを訪れたことがあったので、そのイメージのままでいたら、2019年にリニューアルしたのだという。4年間掛けて耐震化工事を行なったそうで、中の雰囲気が変わっていた。

過去の写真を探したら、2014年に訪れた時の写真があったので、2枚掲載する。

これは多分2階の一番大きな部屋だと思う。

こちらは1階だったと思うが、学校の沿革を説明した部屋だった。手書きの掲示物が懐かしい。

リニューアル後は、あまり物を並べずに室内をすっきりさせた展示になっていた。学校の沿革はこのようなパネルにまとめられている。

旧山辺学校は、松本城から東へ3kmほどのところにある。1885年(明治18)に里山辺村・入山辺村両村の村費と住民の寄付を合わせて建てられた。設計・施工は地元大工の佐々木喜重(ささき・きじゅう)が担当した。

館内の説明によると、佐々木は1839年に里山辺上金井(現在は松本市里山辺上金井)で生まれ、木曽で大工修業を積んだらしい。旧開智学校の建設(1876)に参加したのち、1885年、45歳のときに兎川(とせん)学校を設計・施工した。この兎川学校が、翌年近隣の学校と統合されて山辺学校という名前になったのである。
展示資料の中には、佐々木喜重が描いた、兎川学校=旧山辺学校の図面も展示されていた。
なお、佐々木は1903年から行なわれた松本城の改修工事にも参加したのだという。

山辺学校はその後「山辺尋常小学校」(1889)、「山辺尋常高等学校」(1897)と改称し、1905年に「里山辺尋常小学校」と名前が変わった。そして1911年に「里山辺尋常高等小学校」となっている。
1933年(昭和3)、隣接地に新校舎が建設されて学校がそちらに移り、旧校舎は里山辺村役場の庁舎として利用された。このときに、外壁の塗壁を板張りに、障子窓をガラス窓に改修している。その後も、公民館や保育園と、用途は替わりながらも使い続けられてきた。

老朽化が進んだので1981年から復元工事を行ない、1983年に「山辺学校歴史民俗資料館」として開館した。
2015年から耐震工事が行われ、2019年にリニューアルオープンした。現在の名称は「松本市立博物館分館・旧山辺学校校舎」となっている。

展示は、学校のことだけでなく、地域の暮らしや産業、地域の文化財などの展示もされていた。

戦時中の写真もあったのだが、里山辺地区には1945年の3月頃から地下工場や半地下工場がいくつも造られたのだという。戦時中の工場疎開によるものだが、旧山辺学校から1kmほど南の位置にあったらしい。

こちらの写真は、二階の様子。廊下の左側に階段があるが、これはたぶん八角塔へ上る階段。立ち入り禁止だった。

表に出て、改めて八角塔を眺めた。竣工時の記念写真を見ると、この塔の所にも二人立っているのが写っていた。

塔の一般公開はしないのだろうな。

文化財

Posted by Sakyo K.