龍岡城御台所見学

またブログの更新をさぼりまくってしまった…。この記事は5月初旬の話である。
ここは、長野県佐久市にある龍岡城五稜郭。2018年に一度訪問したのだが、その時は御台所は公開されていなかった。
5月の連休に御台所を公開するという話を聞いたので、訪問して中を見せていただいた。

市の職員の方が入口にいらっしゃった。休日にお疲れさまです。

龍岡城は藩主松平乗謨(のりかた)の造った城である。厳密には、藩主が城を持つ資格ではなかったので、「陣屋」ということになるらしい。

1864年(元治元年)の着工で、石垣と堀の内側には御殿(藩主の住居)、藩士の小屋、番屋、太鼓楼、火薬庫などが建てられた。一応、1867年(慶応三年)には完成して竣工祝いを行なったようだが、現実には瓦も準備はしたもののほとんど使用されず板葺きのままだったそうだ。

1871年(明治4年)、兵部省は全国の城郭の取り壊しを布告した。龍岡城五稜郭は、土塁が削られ堀は埋め立てられ、建物は入札払い下げとなった。御殿の一部の御台所だけは学校として使うということで残すことが認められた。(※)

さて、中に入ってみる。入ると土間が広がっており、その中央にはずいぶん前に作られた感じの模型が展示されていた。中央の建物群が御殿で、黄色い矢印で示したのが今日見ている「御台所」である。

正面が大手門、左側の橋のところが通用門、右側は黒門という。

入口から奥を見ると、このようになっている。奥には「小使詰所」と「小役人詰所」と書かれている。

靴を脱いで上がる。ここは詰め所の前。

入口から見て左側はこのようになっていて、展示物がある。階段があるので二階に上がれるかと思ったら、立ち入り禁止だった。

上がれないので下から見上げるだけである。二階にも展示物はあるのになあ。

一階には、学校の表札や棟札が立て掛けられていた。右は「長野県南佐久郡臼田町立田口小学校 狭…」隠れている部分は確認しないでしまった。検索したら「田口小学校狭岩(せばいわ)分校」が昭和47年まであったそうなので、その分校の表札かもしれない。

その隣の二枚には「臼田町立臼田中学校」の文字。手前の棟札は、大正15年の田口尋常高等小学校増築工事のときのものだ。左端は、昭和24年の上棟式のものだが、戦後の新制中学校の校舎改築のときのものかな?

土間に下りて、上を見上げる。障子の破れをなんとかしたいが、あの高さでは貼り替えも大変である。

土間から入口の方を向いて上を撮影。

一通り中は歩いたので、外に出る。建物の周囲を回ってみよう。

これは入口の反対側の面。時計がついているな。

堀の周囲も少し歩いてみる。これは東側の通用門だったところの橋。

実は2018年には橋は渡れなかった。今回は修復されていた。

五稜郭の堀の中は、佐久市立田口小学校の敷地である。

市内の4小学校を統合するため、2022年度末には田口小学校は閉校となる。佐久市は校舎を解体撤去するつもりらしい。そして「竣工時の龍岡城に戻」して「復元整備を目指す」と言っているのだが、そもそも当初から未完成だった陣屋を再現してどうするのか。
百数十年、学校として使われてきた歴史こそ大切にすべきではないのかな、と私は思う。
(だがそれでは観光にならぬ、というのだろうなあ。)

(2021.06.17) ※印の段落は、アップロード後に修正した。

文化財

Posted by Sakyo K.