室町時代の三重塔

龍岡城のあとは、近くの新海三社神社に向かいます。
龍岡城から東へ約1km。案内標識に従って曲がったら,境内横の駐車場にたどり着きました。

駐車場のところにあった標識で位置関係を確認。
東本社と三重塔が国重要文化財と書いてあります。
途中に田野口陣屋高札場跡と書いてあるけれど、素通りしてしまっていました。
鳥居が下の道路沿いにあるというので、一度下ります。

 

ここから再び,本殿を目指して歩き直します。


  定
一、車馬ヲ乗入ル事
一、魚魚ヲ捕ル事
一、竹木ヲ伐ル事
右條々於て境内令禁止者也
 大正六年十二月十三日 神社廳

車馬乗り入れ禁止とありますが、現代はこの立て札の脇を車で通って駐車場に入ってもいいみたいです。私が最初に通ってきたのは別の道でしたが。


参道。車道はすぐ左に迂回するようになっており,ここからは徒歩です。
参道の並木に並んで電柱が立っているのがなんとも…。正面に見えるのが拝殿です。

拝殿の手前。

拝殿から右に回ると,この神楽殿が建っています。

神楽殿。

拝殿の後ろには中本社と西本社が並んでいます。
そちらも回ってから,右側の東本社に来ました。

説明板によると,建御名方命(たけみなかたのみこと)の子供である「興波伎命(おきはぎのみこと)」をお祀りしているそうです。

東本社の脇を上がると三重塔です。この三重塔は,新海三社神社の神宮寺の塔として建てられたものでした。現在は神社の横の敷地に石垣と「神宮寺跡」という表示があるだけです。この塔は明治維新の排仏毀釈の祭には取り壊される予定だったのですが,神社の宝庫であると言って,壊されずに済んだそうです。排仏毀釈って、ホントろくなことをしていないですね。
風鐸の銘から、永正12年(1515)の建立と考えられているそうです。

三重塔の脇に立てられている説明板とは別に,もっと古い説明板もそのまま残されていました。昭和28年に立てられたものです。こちらを見ると,
「重要文化財 新海三社神社宝庫(三重塔)
 明治四十年八月二十八日指定」
と書いてあるんです。確かに「宝庫」って言ってますね。

案内図を見ると神社の敷地はかなり広いようで、まだこの上の方に古墳や社があるようです。
ちょっともう体力がないので、そちらは回らず駐車場に向かったのでありました。