赤レンガでつなぐとき、まち、ひと(1)

長野県松本市にある信州大学のキャンパス内には(私は実物をまだ見ていないのですが)明治41年に建てられたという赤レンガ倉庫(旧松本歩兵第五十連隊糧秣庫)があります。その保存活用を考えるというシンポジウム(主催は信州大学)が3月31日に松本市で行なわれたので、参加しました。

会場入口に掲示されていたポスターと、当日の日程です。
セッションⅠ(”これまでの赤レンガ”)とセッションⅡ(”これからの赤レンガ”)というタイムスケジュールが掲示してありました。

実際の赤レンガの写真も撮れていないので、当日のシンポジウムのリーフレットを撮影しています。上に載っているのが現在残っている赤レンガ倉庫。下の絵は「近代松本絵葉書集成」という本に掲載されている明治41(1908)年の資料だそうです。当日も資料として配布された中に、この図面が掲載されていました。

この赤レンガ倉庫は、もともとは松本歩兵第五十連隊の庖厨所として建てられたようです。
セッションⅠでは、信州大学大学史料センターの福島正樹特任教授から、赤レンガ倉庫の歴史の説明がありました。

お話しは明治初期、松本に陸軍用地が確保されたところから始まりました。その後土地を県に貸し下げている時期もあったのですが、明治40(1907)年に五十連隊の松本設置が決まります。
明治41年には兵営に入城していますので、この頃には建物が完成していたはずです。

当日はスライドで史料の提示があったのですが、ブログに掲載できないので、手元で見られる資料を使いながら書いていきます。

国立国会図書館デジタルコレクションに、大正6年に出版された「歩兵第五十聯隊信飛国境山地強行軍記念帖」(小松喜代重 編)というアルバムがありました。五十連隊が松本から乗鞍岳へ登り、岐阜県に入って今度は上高地を通り松本に戻るという行軍をしたようです。それをアルバムとして出版したもののようです。

「七月二十五日軍装検査終了後」と書かれている、出発前日の軍装検査の終了時の写真です。ここに写っているのが、五十連隊の兵舎です。3棟写っていますが、その後ろにもう一列並んでいたので、兵舎は6棟ありました。
図面を見ると、この写真の枠外左側が正門でした。正門脇には連隊本部の建物がありました。

同じアルバムの次の写真です。「七月二十六日行軍隊営門を出発せんとす」とあります。この写真の右端に写っているのは、前の写真で一番左に写っていた兵舎です。連隊兵士は左に向かって進んでいますが,そこが正門でした。中央にある建物は営倉と衛兵所で、左にほんの少しだけ写っているのが連隊本部のはずです。

この写真は、国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」から、1948年11月23日に米軍が撮影した航空写真の一部を掲載しました。中央に6つ建物が並んでいますが、それが兵舎です。

松本市内には1944年に官立松本医学専門学校が設置されました。開校したものの校舎が準備できず、松本高等学校の教室を借りたりお寺の本堂を使ったり、その後は松本中学校校舎を使ったりしていました。戦後この松本医学専門学校が、校地として第五十連隊駐屯地を確保したのだそうです。1946年に移転完了。1947年には大学昇格が決まり、1948年松本医科大学が設置されました。

なので上の航空写真は松本医科大学時代ということになるのでしょう。
その後1949年に新制の信州大学医学部として発足し、1951年に開校しました。
陸軍時代の建物は、兵舎は研究室や教室に、煉瓦建造物は実習室や標本室、倉庫などとして利用されていたようです。

次の写真。

1958年撮影の写真ですが、兵舎のうち一棟が撤去され、南側の練兵場・体操場だった敷地に建物が建っているのが見えます。

3枚目の航空写真ですが、1975年の撮影です。6棟あった兵舎はすべて撤去されて残っていません。それでも南側の道路沿いの3棟や、写真中央のグランドの北側の棟など、いくつかは旧陸軍時代の建物が残っているように見えます。

同じ写真の一部を拡大しました。二つの建物に注記をしましたが、陸軍時代に「糧秣庫」だった建物が現存している建物で、今回のシンポジウムのテーマです。
その西にあったのが「旧庖厨浴室」で、こちらは1994年に解体されています。
実は1994年の旧庖厨浴室解体の時には調査がされていて、それも国立国会図書館デジタルコレクションで読めるのです。

「『歩兵第五十聯隊』レンガ建築の実測復元図について」小松芳郎・日本計量史学会。ここに、戦前・戦後の敷地の配置図も掲載されています。
pdfですので、リンク先をご覧下さい。

ここに松本医学専門学校時代の配置図も掲載されています。1994年に解体された旧庖厨浴室は実習室、旧糧秣庫は薬品庫と書かれています。

現存している旧糧秣庫の方は、2012年に国の登録有形文化財に登録されました。しかし雨漏りや内装のひび割れなど補修が必要な状態になっているとのことです。
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以上、シンポジウムで話されたことと手元で入手可能な資料を組み合わせて、(不十分ですが)建物の歴史について書きました。当日は、このあと建物の保存をめぐる歴史、それから活用についての話になっていきます。

次回はそちらを書く予定です。

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