旧開智学校は耐震工事中
松本市の旧開智学校は、現在耐震工事のため閉館している。工事は3年ほどかかる予定とのことで、開館は2024年の秋になるらしい。
現地には、工事中であるという説明が掲示されており、図の中に休憩スペースや撮影スポットの位置も書かれている。
また、隣にある旧司祭館で旧開智学校の紹介コーナーとミュージアムショップが設置されていることも記されている。
上の地図に書かれた休憩所からは、旧開智学校の校舎が見える。工事用の囲いが建てられているが一部分は工事用の出入り口になっており、また囲いも一部を透明にして、建物が撮影できるようにしてあった。
下囲いは行われるが校舎全体を覆うわけではないということで、正面玄関上の飾りなどは工事中も見ることができるらしい。
「ご近隣のみなさまへ」。一週間の工事内容が書かれており、毎週書き換えているようだ。
私が行ったのは土曜日なので、工事は休みだった。
撮影ポイントはこの場所の他、敷地前に道路があるので道路から建物正面を撮影することはできる。
では旧司祭館に入ってみよう。「国宝旧開智学校校舎 紹介展示 実施中」の案内看板が立っている。 入館無料。
建物の大きさが違うので旧開智学校の展示の一部しか展示できないが、説明パネルなどいくつか設置されていた。
これは開智学校を建てた棟梁の立石清重のパネル。
校舎の模型も展示されていた。現在残されているのは塔屋がある棟だけだが、学校として使われていたときにはL字型の校舎だった。開智学校はもとは女鳥羽川のほとりに建てられていて、保存に当たって現在の場所に移築されたのだ。
他の部屋にもパネルが展示され、ミュージアムショップも営業していた。おそらく2024年に旧開智学校が開館するまでは旧司祭館で営業するのだろう。
これは開智学校の北側。2019年の台風で塔屋の漆喰が一部剥落した箇所は、応急処置でカバーがつけられていた。多分耐震補強工事と併せてここも補修するのではないだろうか。
さて、上に書いたように旧開智学校は現在は松本城の北側にあるが、移築前は下の地図のように女鳥羽側のほとりに建っていた。
実は私は最近になって気付いたのだが、地図の赤丸の位置に旧開智学校の記念碑が設置されている。
まずはこちら。「重要文化財旧開智学校跡」の石碑。右側には平成14年10月の日付がある。
反対側の面には、令和元年九月に国宝に指定されたことが書かれているので、追加で彫ったのだろうか。
そして石碑の近くにもうひとつ。駐車場の横にモニュメントがある。
モニュメントには、写真や文字を彫り込んだ石板が貼り付けられている。
左上は、昭和30年代に撮影された航空写真、その下は開智学校本館の正面図。
そして右には、開智学校の変遷が日本と英語で記されている。
国宝指定のことが書かれているので、国宝になってから設置されたモニュメントかと思ったのだが、2012年の Google ストリートビューにも既にこのモニュメントが見られるので、私が気付かなかっただけで以前から設置されていたものらしい。ネット上を探したら数年前の写真が掲載されていて、それには国宝の記載はないので、文字のプレートが取り換えられたようである。
【関連ブログ】
・「旧開智学校訪問記(長野県松本市)」(2019.11.23)
・「松本市旧司祭館見学記」(2019.11.24)
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