松本市旧司祭館見学記

2021-03-20

開智学校の隣にある、松本市旧司祭館です。
もとは松本カトリック教会の司祭館でした。松本城周辺の道路拡幅計画に関連して、施設の再配置の計画があり取り壊される予定だったそうです。しかし文化財として保護しようと、1989年(平成元)10月に松本市へ寄贈されました。

市は移転先を旧開智学校のある開智公園に決め、1990年(平成2)から解体、翌年復元工事が行なわれました。

木があるので、正面から撮影しにくいです。

中に入ってみます。「入場無料」とあります。

中にパンフレットが置いてあり、応接間だった室内にも説明表示がありました。

それらによると、この建物を建てたのはオーギュスタ・クレマン神父だということです。彼は1854年にフランスで生まれました。1878年(79年かも?)に来日、東京で日本語を学んだ後、1887年(明治20)松本に主任司祭として着任します。1889年に司祭館を設計し、地元の大工の手で建築されました。

以後、松本カトリック教会の司祭らの住居として使用されてきたとのことです。
クレマン神父はその後金沢や横浜で活動し、1904年(明治37)フランスに帰国しました。
その後、再び日本での布教を希望し、1913年(大正2)再来日、静岡の教会に赴任しました。しかしまもなく食道がんが見つかり、1914年に亡くなったそうです。

館内にはもう一人、セスラン神父の説明もありました。

ギュスターブ・セスラン神父は1901年(明治34)に松本の主任司祭に就任、1914年に第一次世界大戦に動員されましたが、1917年に松本に戻り、1928年までここで過ごしました。松本の滞在期間中に「和佛大辞典」の編纂に取り組んだそうです。その後東京へ移ってから1940年に「和佛大辞典」の初版が刊行されました。

(この和怫大辞典ですが、書く人によって「日本初の和仏辞典」と「日本初の本格的な和仏辞典」という表記があるのですが実際はどうなのでしょう? 国立国会図書館デジタルライブラリーに1918年発行の新和仏辞典が載っていたので迷ったのです。館内資料では「本格的」の語が付いてましたが、パンフレット表紙には「本格的」がなくて「わが国初の日仏辞典」とあったんです。)

(国立国会図書館デジタルライブラリーの検索結果より)

他の部屋に行ってみます。

ここは食堂です。各部屋に暖炉が設置されています。

建物の北側は、ガラス張りのベランダになっています。

階段を上り二階へ。

二階の一室の窓。ここは寝室だった部屋です。

二階にもベランダがあります。しかし二階のベランダは立ち入り禁止となっていたので、手を伸ばして撮影しました。

反対側を向くと、外の紅葉した木々が目に入ります。これはいいですねえ。

旧司祭館は、2005年に長野県宝に指定されました。長野県内に現存するものでは最も古い宣教師館だということです。

建物の外側も一回りしてみました。
こちらは玄関と反対側、ベランダ部分です。

斜めから見るとこんな感じ。

最後に、この司祭館が以前あった場所が見られないか、国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で、過去の写真を探してみました。

拡大したので解像度がちょっと苦しいですが、なんとなく見当がつきました。多分、黄色矢印の建物がそうだと思います。

文化財

Posted by Sakyo K.