安喜水力電気株式会社について

2021-03-20

前回のポップアップカード(写真)でモデルにした旧畑山発電所は、1923年(大正12)に安喜水力電気株式会社によってつくられたものである。

安喜水力電気は、1911年(明治44)5月に許可を受け発足した電力会社である。

最初に作られたのは130kwの名村川発電所で、1913年(大正2)に電力供給が開始された。
1919年(大正8)に名村川発電所を増設し、1922年には朝日発電所(25kw)が建設された。
1923年に、今回ポップアップカードにした畑山発電所(299kw)が建設されている。
さらに1934年(昭和9)には轟発電所が建設され、電力供給量を増やしてきた。

1912年(明治45)の官報には、電力設備建設のための土地収用が認可されたという記事が掲載されている。年号と伊尾木村という地名から、名村川発電所の建設だと分かる。

(引用)

左ノ事業ハ土地収用法ニ依リ土地を収容スルコトヲ得ルモノト認定ス
 起業者   安喜水力電氣株式會社
 事業ノ種類 電氣機ニ關スル設備
 起業地   高知縣安藝郡伊尾木村地内
右広告ス 明治四十五年七月十日 内閣総理大臣 侯爵西園寺公望

さて、明治末から大正時代にかけては各地で電力会社が設立されており、高知県内にも数多くの電力会社が存在していた。

高知県自身も電力会社「高知県営電気」を運営していた。高知県営電気は、1903年(明治36)に知事が発案して設立されたものである。翌年建設工事を始めたものの日露戦争の影響で中断してしまったため、1906年に工事が再開され、1909年(明治42)から送電を開始している。

大正末~昭和初期になると全国的に発電の合理化が求められるようになり、高知県でも電力会社の統合が進められるようになった。
高知県営電気は、1926年に白髪山水力電気を合併、1934年には土佐東部電気など3社を合併した。そして1936年に安喜水力電気ほか、8社を合併した。

1936年に高知県営電気に吸収合併されることで、安喜水力電気という会社名は消えてしまった。畑山発電所は高知県営電気の管理するものとなったわけである。

四国配電株式会社

1941年(昭和16)8月に国は配電統制令を公布施行し、電力を国が管理する方針とした。同年9月には国の命令で、高知県営電気・伊予鉄道電気・東邦電力・土佐電気・四国水力電気の5社を統合して四国配電株式会社が設立されることになった。

四国配電は1942年に発足し、本社は新居浜市に置かれた。その後も四国の残った電力会社を統合していった。

四国電力

戦後、1946年に配電統制令が失効し、電気事業の再編が検討された。1950年に電気事業再編成令が公布され、翌年四国配電は解散して四国電力株式会社が発足した。
以後、畑山発電所は四国電力の発電所として使わることとなった。

畑山発電所が使われたのは1973年までである。
前回の記事の最初で書いたように、現在は崩落が進んでいるようだが、詳しい状況は分からない。

最後に、畑山発電所であろうと思われる場所がストリートビューにあったのでリンクを張っておく。場所は間違っていないとは思うけど。

【参考】
「高知県営電気事業史」高知県 1953年
「四国配電十年史」四国配電精算事務所 1953年

歴史・資料

Posted by Sakyo K.