戦前の銀行について調べてみた(2)

前回、特殊銀行について書きました。今回は貯蓄銀行です。

(写真は、岐阜貯蓄銀行のポップアップカード。)

(ハ)貯蓄銀行
貯蓄銀行について定めた法令としては、1922年に施行された「貯蓄銀行法」があります。さらにその前は1890年に公布された「貯蓄銀行條例」がありました。でもこの條例によって貯蓄銀行が始まったのではなく、1880年にはすでに東京貯蓄銀行という初の貯蓄銀行が開業しているのです。どうも後追いでいろいろ法整備されている様子です。

「改正貯蓄銀行法詳解」(大正10年=1921・金融タイムス社編集部編)という本があります。
当時新たに制定された貯蓄銀行法の解説書です。

この中にちょうど「貯蓄銀行の沿革」と題した章があるので、それをもとに整理します。

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1875(明治8)年 政府は国民が貯蓄するようにと、駅逓貯金を制定する。(駅逓貯金は現在の郵便貯金につながります。)

1877(明治10)年 山梨県にあった興産社(*1)という小銀行が複利の預金を扱っていたが、この年に第十国立銀行となる。
ここが貯蓄預金取り扱い規則を設け大蔵大臣の許可を得て営業。それをみて他の銀行も貯蓄預金に参入。その後利息競争に陥るほどとなった。

1880(明治13)年 東京貯蓄銀行設立。この後も各地に貯蓄銀行が設立され、私立銀行も貯蓄預金の業務を始めるものも増える。

1884(明治17)年 政府が調査をしたところ健全な経営状態でないものもあったので、しばらく新規の貯蓄銀行設立を認めないという方針を出す。しかしその後設立の要望が増える。

1890(明治23)年 商法が発布。この年に「貯蓄銀行條例」を制定。(*2)
その規定
・複利の方法で、公衆のために預金事業を行なうこと。
・一口5圓未満の金額を定期・当座で預かるときはこの条例に従うこと。
・資本金三万円以上の株式会社でないと、貯蓄銀行を営業できない。

1895(明治28)年 条例改正。この年の末には貯蓄銀行の数が107行、預金残高は1217万8千圓となる。

1915(大正4)年 条例改正。大正3年末の貯蓄銀行の数は658。経営が良好でないものもけっこうあったようです。

1920(大正9)年 第一次世界大戦が終結したあと不況になる(戦後恐慌)。4月から9月にかけて株価暴落により、銀行取付も続出。破綻する貯蓄銀行が「頻出」(当時の報道の表現)した。

1921(大正10)年 貯蓄銀行法が提出される。
・「貯蓄銀行」以外は貯蓄銀行業務をできないと規定。
・貯蓄銀行は商号の中に必ず「貯蓄銀行」と入れることに決める。そうでないものは「貯蓄銀行」と名乗ってはいけない。
(預金者保護に重点をおき、規制をかけたようす)
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このような流れがあったようです。

さて、その後の経過ですが、1943年以降は普通銀行への転換や合併が続き、1949年に貯蓄銀行は消滅したとのこと。(法制上では1981年に廃止とされたそうです。)

(*1) wikipediaには「興益社」とあるのですが、この資料では「興産社」とありますので当時の資料を優先しています。興益社である根拠は今のところ確認できていません。
(*2) 貯蓄銀行条例の施行は明治24年1月の予定でしたが、商法の実施が延期され、実際には明治26年の施行だったようです。

(続く)