明治の絵葉書(2)

前回、明治の絵葉書について当時の書物を拾い読みしたが、その続きである。

1900年(明治33)に郵便法が制定された。その第18条の条文は次のようになっている。(カタカナをひらがなに置き換えた)

「政府の発行する通常葉書と同一の寸法及紙質にして之と同一の位置に『郵便葉書』の文字を印刷し且之と同額の切手を貼附したる私製葉書は通常の葉書と看做す
私製葉書にして前項規定に違反したるのものは第一種郵便物と同一の取扱を為す」

そして同年、図のように私製葉書の製式も定められた。

ただ、それ以前に絵葉書が送れなかったかというとそうではなく、海外郵便に関しては私製葉書も葉書として利用可能だったし、国内では封書料金であれば送ることができたそうだ。
「日本国内において、私製葉書を葉書料金で送ることができる」ようになったのが、1900年9月以降ということらしい。

その葉書の様式だが、1903年(明治36)12月に次のように改正されている。

宛名面の変更
1900年 宛名面に書くことができるのは、「郵便はがき」の文字と、官製葉書にあるのと同じ注意書きのみ。
1903年 「郵便はがき」を外国語表記しても良い。「萬国郵便連合」と入れてよい(外国語表記でも可)。発行所・販売所名を入れても良い。

付け加えられた条件
1903年
・表面の紙色は白か、白に似た色に限る。
・裏面に他の郵便物を汚すような着色をしてはいけない。
・透かし絵や浮き出しは、宛名記入に妨げなければ許可。
・外国郵便用の葉書を国内で使用するのも可能。

私製葉書の利用が広まったら表面に様々な文字やデザインを加えるものが多く、問題が続出したのでこういう改正がされたのだった。

官制記念絵葉書

さて、1902年は日本が萬国郵便連合に加盟して25周年ということで、祝賀会が開催された。
逓信省が初めて絵葉書を発行したのもこのときである。それから記念スタンプを押すということもこのときに始まった。

国立国会図書館デジタルコレクションに「萬国郵便連合加盟二十五年記念祝典紀念帖」があって、会場の様子も掲載されているはずなのだが、写真が真っ黒につぶれて見られるものではない。

これは会場の東京帝国ホテルだというのだが、もう少しなんとかならないのだろうか。

気を取り直して。
「萬国郵便連合加盟25年」の記念絵葉書は、6種類一組で5銭で販売された(切手は差出人が貼る)。

次の画像は分かりにくいが、上部に「萬國郵便連合加盟二十五年祝典紀念」と書かれており、その下にフランス語で「Jubilé de l’entrée dans l’Union Postale Universelle.」とある。絵は、上にあるのが絵葉書発行より25年前の横浜郵便局舎、下にあるのが絵葉書発行現在の横浜郵便電信局舎だ。

以後、逓信省から発行された記念絵葉書は、
・日露戦役(第1回)6種類 1904年9月
・日露戦役(第2回)3種類 1904年12月
・日露戦役(第3回)15種類 1905年2月
・日露戦役(第4回)15種類 1905年10月
・満州軍総司令部凱旋 1種類 1905年12月
・陸軍凱旋観兵式(甲,乙)2種類 1906年4月
・日露戦役(第5回)3種類 1906年5月
・米国艦隊歓迎 2種類 1908年10月
・神宮式年御遷宮 2種 1909年10月
・日英博覧会 3種 1910年5月

と、主に戦争関連の絵葉書が続いて、日露戦争後には減っていった。1906年頃には、地方公共団体や新聞社、博覧会主催者、諸団体による絵葉書発行が増えている。

軍事郵便

日清戦争の時の軍事郵便は封書に限られていたが、1904年の日露戦争時には、逓信省が発行した葉書を出征軍人局に配給した。官製葉書だけでなく絵葉書が使用されることも多かった。

1905年発行の「出征軍人家族並遺族心得」の中で、Q&Aの形で次のように書かれている。

「問 私製葉書を差し出すことを得るや
 答 私製葉書にても差支えなし 近頃は私製の絵葉書種々流行なれば之を送くるも亦妙なれども風俗壊乱の恐れある絵はがきなどは固より用ゆることを得ず」

しかしこの書籍の主題は、すでに実際に戦死者が出ている中、戦死者遺族に対する特別賜金を受ける手続き、あるいは出征兵士の家族への支援、軍人恩給の手続き等について書かれた部分なのであった。

【参考】
「出征軍人家族並遺族心得」(1905年・文盛堂編輯所 編・榊原書店)
「各種記念絵葉書類鑑」(1917年・大内市朗 編・淡路絵葉書倶楽部)
「日本郵便切手史論」(1930年・樋畑雪湖 著・日本郵券倶楽部)
「続日本郵便切手史論」(1933年・樋畑雪湖 著・日本郵券倶楽部)

歴史・資料

Posted by Sakyo K.