桂離宮 訪問記(3)

今回は古書院の近くにある「月波楼(げっぱろう)」という茶亭です。
写真のように、石垣があって池からは少し高い地形になっています。

では、建物の内部を見ていこうと思います。

今回は、写真をどの位置から撮ったのか、平面図と合わせて載せてみます。
これが月波楼の簡単な平面図ですが、写真についている番号は、その数字の位置に立って矢印の方向を撮影していることを示していますので、ご覧下さい。

②の位置から手前の部屋を見たところ。

③の位置から奥を向いて。右側のすぐ下に池があるのですが、奥の障子には水面は見えません。

④から東の方を見ると、池が広がっています。

⑤は土間の奥の座敷を見ています。

⑥に立って板の間を撮影。竃や袋棚、釣棚、水屋が設けられています。

⑦は、外に出てから通路上で撮影しました。

番号は振りませんでしたが、土間に立って上を見上げるとこんな感じです。

屋根裏がそのまま見えていますが、そこに額のようなものがありました。どうやら絵が書いてあるようなのですが、ほとんど消えてしまって分かりません。「渡海朱印船の絵馬」というらしいのですが、もとは下桂の御霊社にあったものを移したという話です。

…という感じでまとめてみましたが、建物のイメージは伝わったでしょうか。

さて、月波楼の南側はこのような建物があります。これは古書院とつながっているのですが、「御輿寄(おこしよせ)」と呼ばれる、書院の玄関にあたります。

こちらの「住吉の松」は、上の地図の⑦の位置から東南、突堤の先にある松です。

池に目隠しをして見えないようにしているのです。御幸門から書院の玄関にくるには、地図の赤い線の矢印を通ってきます。⑥の数字の近くの曲がり角のところで東南を向くと、池の水面が見えるのですが、この松であえて視線を遮っているのです。
書院に上がって広縁から眺めた時に初めて池の全景が見えるようにと考えたそうです。景色を印象的に見せる演出ということですね。

というわけで、これで見学コースは終わりました。
これは最後の出口(最初に入ってきたところと同じです)の地面ですが、石をきれいに敷き詰めてあります。

細部を見ていくと様々な見どころがあって、一周しただけでは見切れません。自分に知識がないので灯篭もかなり見落として(というか目に入っても素通りして)しまっています。できれば季節を変えて再訪問したいものです。

これは桂離宮を出て、道の向かい側に立っていたものです。何だろう?と思ったら隣に解説板が立っていました。

「徳大寺樋門の遺構」とあります。
前半は桂離宮の説明だったので省略して、その後を書き写します。

「徳大寺樋門は、桂川のたび重なる氾濫を防ぐために築かれた堤防(防塁)に設置され、桂川から離宮内庭園池に引き水するために利用されていたもので、幾度か改築整備されてきました。この樋門は、明治41年5月(1908年)改築のものですが、流域の都市化等の変遷により平成5年6月(1993年)桂樋門の新設にともない廃止されることになりましたので、その一部(遺構)を残し、往時を偲ぶものです。
桂の地一体は平安中期から代々藤原氏が領有し、鎌倉時代に入って近衛家の領有となり、古くから月の名所や瓜の産地になっていたようで、平安時代の文学作品『源氏物語』のなかに
 月のすむ 川のをちなる 里なれば
       桂のかげは のどけかるらむ
ほか多く詠まれています。
        平成8年3月」
(原文は縦書きなので、年号の漢数字は算用数字に置き換えた。)

(参考)
桂離宮パンフレット
京都仙洞御所・二条・桂・修学院離宮御写真及実測図集. 第12集(昭和3年)
現地案内板

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