昭和橋(1)
長野県坂城町に昭和橋という橋が架かっている。千曲川を渡る橋だ。
国道18号線を通るとよく見えるので橋の存在は以前から知っていたが、名前や由来を調べないまま通り過ぎていた。
幅が狭いため車で入るのもためらってしまい、私は一度も渡ったことがなかったのだ。
昭和橋の位置はここだ。
調べたら、2002年(平成14)に土木学会選奨の「土木遺産」に認定された橋だという。
橋が造られたのは1937年(昭和12)。長野県の道路技師だった中島武が設計した鉄筋コンクリート・ローゼ桁橋である。
当時は戦争の影響で鋼材が不足していたため、鋼材を使わずに橋を架けるためにこの方法が考えられたのだという。
ローゼ桁橋(ローゼ橋)とは、アーチ橋の種類の一つだそうだ。アーチ橋は、曲げに対する抵抗をどこの部材が受け持つかによっていくつかに分類される。
アーチ橋(図の一番上)はアーチ部分が支え、ランガー橋は橋桁の部分が支える。ローゼ橋はアーチ部分と桁部分の両方で支えるのだという。
曲げに対する抵抗を持つ部材は太くなるので、橋の外観は概ね上図のようになる。
最初に橋の建造年を書いたが、実は1937年に造られたのは国道18号側の3径間で、残りは後で造られた。
この場所に初めて橋が架けられたのは1928年(昭和3)、木製の橋が架けられ「昭和橋」と名付けられた。木橋はたびたび洪水で流失したのだが、部分的に鉄筋コンクリートの橋に架け替えていったのだ。
下図のように、1937年に3径間が完成し、1952年に6径間が完成した。そして1964年に2号橋として鋼製ゲルバーガーター橋が架けられて完成した。
さて今回は車を南西側(上の図だと左側)に停めて、歩いて橋を渡ってみようと思う。
昭和橋の南西側。
左の親柱には「昭和橋」、右側のには「千曲川」と書かれ、矢印の位置に銘板が取り付けられている。
その銘板を拡大。「昭和六年、東京石川島造船所製作」と書かれている。この昭和6年というのはどういうことだろう。こちら側の橋は1964年に架けられたはずだが…。
(これについては次回の記事で説明する。)
少し歩くと、鉄筋コンクリート製の部分になる。私が歩いている間に2〜3台の車が通ったが、橋の幅はせまいので、ぎりぎりすれ違いできるくらいだろうか。
場所によってコンクリートの色が違うが、おそらく補修されたのだろう。
鉄筋コンクリート製の部分を歩く。
下の部分は塗装をしたみたいだ。
左側の景色。こちらが千曲川の下流側だ。
こちらは右側。千曲川の上流側。
ここは1937年に造られた部分だ。向こう側に国道18号線が通っており、信号機が小さく見える。
(つづく)
【参考】
「坂城町誌下巻(歴史編2)」(坂城町誌刊行会/1981)
「昭和橋パンフレット」(坂城町/2023)
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