御曹子橋の名前の由来 (1)
本ブログで2023年4月に書いた記事「ダムに水がない?」の中で,御曹子橋についても書いた。
犀川に架かる橋で国道19号から旧大岡村(現長野市)に渡る橋だ。現在の橋は1994年に竣工したのだが、それ以前は同じ名前の吊り橋(初代と2代目)があった。
(この写真は4月に撮影したもの)
前回の記事では「御曹子橋の名前の由来は分からない」という話で終わっていた。
しかしその後資料を確認して由来が分かったので、この記事を書く。
「生坂村誌 歴史・民俗編」(1997年)に書かれていた。
1946年に広津村(現 生坂村)と大岡村を結ぶ吊り橋が架けられ、「橋名は近くの越中川にある御曹司神社から命名」されたとある。
(注1:現地の石碑と違い,生坂村誌の漢字表記は「御曹司橋・御曹司神社」になっている。)
(注2:最初の橋の建設は1948年だと思うが,生坂村誌には46年と書かれていた。)
表記のズレはあるものの、橋と神社の名前が同じということなので,神社の名前から橋の名前が名付けられたという説を否定する理由はない。
というわけで,あとはその神社を確認すればいいと思ったのだが。
…地図に載っていない。
国土地理院の地図に御曹子橋の場所を書き込んである。橋の近くには「越中川」(えっちゅうがわ)の地名がある。しかし神社の地図記号が見当たらない。
赤丸で示したように他の地区の神社は表記されているのに、越中川には神社の記号がないのだ。
大岡村の地図がないかとネット上で探したところ,長野県立歴史館所蔵の資料に「大岡村村誌絵図面」があるのを見つけた。明治時代初期に作成された地図らしい。
黄色い四角の部分に越中川の地名があるので、拡大する。
「霊社御曹子社」と書かれている。御曹子社は存在したのだ。
この図が描かれたのは明治時代初期なので、まだ橋はない。当時は渡し舟が使われていて、図の右端に渡船場と書かれているのが見える。
また、現在橋がある場所には「亀岩・黒駒岩」という岩の名前がある。
この神社は現在もあるのだろうか。それとも失われてしまったのだろうか。
現地に確認に行こう。
12月半ば。御曹子橋にやって来た。
この場所は、橋より一段低くなっている。おそらく、1955年に掛け替えられた2代目御曹子橋が架かっていた場所だ。
遊歩道らしき道が川沿いに作られているので進んでみる。
絵図面にあった黒駒岩はこの辺りだろうと思い川を見下ろすと,岩が見えたが、これがそうなのか断言できない。
歩行者専用の鉄橋で沢を渡る。
あっ。神社があった!
神社の前からは御曹子橋が見える。ここが御曹子社ということでいいのかな?
鳥居に名前が書いてあるかと思い確認したが,見当たらない。
(つづく)
【関連記事】
「ダムに水がない?」(2023/04/22)
【参考】
「生坂村誌 歴史・民俗編」(生坂村誌刊行会発行/生坂村誌編纂委員会編/1997年)
「大岡村村誌絵図面」(長野県立歴史館サイト)
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