ダムに水がない?
先日国道19号線を車で走っていた。国道19号線は松本市と長野市を結んでいる道路だ。(正確に言うと19号線は名古屋市と長野市を結んでいる道路なのだが、今回私は松本市から長野市へ向かっていたので、それに合わせて冒頭のように書いた。)
コロナ以降出歩くことが減っていたし、外出しても高速道路を使うことが多いので、19号線を使うのは久しぶりだった。
地図の矢印辺りを走っていると、なんか違和感が。記憶にある風景と違っているのだ。
…水がない?
矢印の附近のストリートビューを引用する。2020年12月に撮影されたものだ。右側の水は平ダムの湖面である。
ところがこの日、あるはずの水が見えなかったのだ。
水面の位置がかなり低い。
19号を通るのが久しぶりだったため知らなかったのだが、あとで調べたら、既に今年の1月に新聞に掲載されていた。(市民タイムス 2023年1月5日)
記事によると、平発電所(平ダム)の発電機の改修工事のため、昨年5月から貯水を中断し、現在ではダムの堰堤附近の水深は、13mあったものが80cmになっているそうだ。
なお、工事終了予定は来年の7月の予定なので、それまでは水が少ない状態らしい。
見慣れない景色だったので、後日写真撮影をしに再訪した。
下流側から見た平ダム。左側に見える建物が発電所だ。
橋の上からダムを撮影。全てのゲートが完全に開いている。
平ダムは1955年から工事が始まり、1957年に発電を開始したという。
国道沿いから撮影。
水を貯めているときの水面の位置は、矢印のあたりだろう。
歩道があるので、少し上流へ歩いてみた。私は水が貯まっている風景しか見た記憶がない。
豪雨の時とかに放流することはあるようなのだが、豪雨の最中にダムを訪問したりしないし。
ダムの上流にある橋は、御曹子橋(おんぞうしばし)という。橋を渡ってみると、「平成六年三月竣工」のプレートが取り付けられていた。1994年の完成だ。
橋の近くには石碑が建てられている。表には、「御曹子橋竣工記念・長野県知事吉村午良書」と彫られていた。
石碑の裏面に、御曹子橋の沿革が記されている。
それによると、1948年にここに初代の吊り橋が架けられたそうだ。
1955年、発電所の工事に際して東京電力が二代目の御曹子橋(吊り橋)を架けた。ダムによる水面上昇を見越した架け替えだろう。
1968年から永久橋への架け替えを求める期成同盟会が結成され、運動を続けてきた。1987年に着工し1994年に完成したのが現在の御曹子橋だということだ。
1964年に出版された「信州の旅情:川をめぐる生活と風土」(榑沼光長(くれぬまみつなが)著・社会思想社)に2代目の御曹子橋の記述が少しだけ出ていた。
「湖の中ほどに一つの吊り橋がある。その名は〝御曹子橋〟。なにかの由来あっての橋名に渡る土地の人にたずねてみたが『知らぬ』という。二、三の人にたずねてみたが、ついにわからずじまいであった。」
石碑にも、名前の由来は書いてなかった。
石碑の隣に立てられている古い案内表示も興味深い。
もう色あせてしまって文字を読むのもやっとだが、現在の御曹子橋と、旧橋が両方描かれているのだ。新橋が完成してから旧橋を撤去したはずなので、両方存在した期間があったはずだ。
再び橋を渡って左岸から対岸を確認すると、橋の右横に旧橋の跡らしきものが見える。
こちら側にも橋の跡が残っていた。
旧橋が架かっていた頃の写真がないか探しているが、まだ見つかっていない。
1998年発行の「大岡村誌・歴史編」の中で橋について触れており、現在の橋の渡り初め式(1994年6月開催)の写真が掲載されていた。しかしその写真では、旧橋は見えなかった。
だが「大岡村誌」には、別の橋の写真の竣工式の写真が載っている。国道19号と村の中央を結ぶ「大八橋」が1978年に犀川に架けられた。この竣工式の写真では、でき上がった橋から10mくらい離れた隣に吊り橋が並んで写っている。その写真を見て、御曹子橋が吊り橋と並んでいる風景を想像している。
さて、ここから少し上流には「山清路」という名勝があるので、次はそちらに向かってみよう。
この地図の山清路大橋から新山清路橋の間を歩く予定。こちらも水が少ないはずだ。
(つづく)
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