旧脇町公民館

今はもうないが、かつて徳島県美馬市に脇町公民館という建物があった。
Google のストリートビューでは2014年にはその存在を確認できるが,2021年には建物はなく駐車場になっている。
(2014年のストリートビュー)

美馬市の広報紙によると、2017年3月に公民館が閉館されたとあるので、おそらく2017年中に解体されたのではないかと思われる。

あるサイトによると,この建物はもとは日本専売公社の事務所だと書かれている。
ところが調べてみるとどうも違うように思えるのだ。

この地図は、1961年に発行された「脇町誌」に載っているものである。

これを見ると専売公社は青の矢印の位置にある。上のストリートビューの建物は赤の矢印の位置なので、場所が異なるのだ。

「脇町誌」には町内の官公署についても説明がある。(名称は1961年時点)
地図中に「専売公社」と書いてあるのは、正式には「日本専売公社脇町出張所」だった。敷地が2443坪あり、本庁舎は平屋建てで78坪とある。また平屋建ての10坪の倉庫と、その他に10棟の建物があったらしい。

脇町出張所の発足は1912年(大正元)。発足当初は池田専売支局貞光出張所に属する脇町臨時葉煙草取扱所という名前で、建物は別の場所にあった。1914年に臨時取扱所から出張所に昇格した。
その後、1928年(昭和3)に地図の青矢印の位置に新庁舎が建設されたということだ。
旧脇町公民館は2階建てなので、専売公社の本館が平屋というのも話が合わない。やはり脇町公民館は元専売公社ではなかったのではないか。

「脇町誌」には口絵写真が40ページに渡って掲載されている。確認していくと、見覚えのある建物が載っていた。これだ。脇町公民館の建物だ。

窓がアルミサッシに変わって車寄せの柱と屋根は少し変更され、壁面の配管が増えているが、あとはほとんど昔のままだ。玄関の扉は替えられた様子はないし、2階の窓についている手摺り(?)も同じだ。玄関左の窓枠は昔のままである。
写真の横には「県出先庁舎 美馬財務事務所 其他」と記されている。

そこで本文を確かめると、1961年当時は「徳島県出先機関庁舎」という名前で説明されている。
美馬財務事務所や美馬福祉事務所、美馬林業事務所など、8つの事務所が入っていたらしい。
もともとは美馬地方事務所庁舎として1943年(昭和18)に竣工したそうだ。

つまり、脇町公民館は旧専売公社ではなく、「旧美馬地方事務所」が正しいのではないかと思う。

もう一度上の地図を見ていただきたい。赤い矢印の所には④と書かれていて、(画像にはないけれど)地図の余白にはこれが「県出先庁舎」であると示されている。写真・ストリートビューの建物とも整合する。この旧美馬地方事務所が後に脇町公民館となったというわけだ。

なお1961年当時の公民館は、地図の⑤の位置にあった。ここには明治20年頃に建てられた郡役所の建物があり、郡役所廃止後は県が使っていた。1948年から自治警察署となったが1951年自治警察が廃止されたので、その後公民館として使われるようになったそうだ。

公民館がいつ旧地方事務所に移転したのかは調べられなかったが、郡役所の建物を使っていた公民館は1953年に大幅に改築をしたそうなので、その後も長く公民館として使ったのだろうと想像する。

公民館や専売公社の写真も「脇町誌」に載っていたので、こちらも引用する。

この写真の公民館があった場所は、現在は空き地になっているようだが、航空写真を見ていくと、2009年にはまだ建物があったように見える。使用されていたかどうかはまでは分からないが。

専売公社の建物は解体され、跡地には武道場やテニスコートなど、スポーツ施設が作られたようだ。2008年の美馬市議会で専売公社跡地利用の話題が出ている。

最後に、年代がわからない部分もあるが旧脇町公民館の建物の変遷を分かる範囲でまとめてみた。

1943年 美馬地方事務所として建設。
1947年 地方自治法の元で戦後も地方事務所として存続。
1956年 県議会で地方事務所廃止議決。4月から徳島県出先機関庁舎として美馬財務事務所・美馬福祉事務所・脇町耕地事務所・美馬林業事務所が置かれる。
1961年まで さらに4つの事務所が置かれる。
    (以後経緯不明)
?年  脇町公民館となる
2017年3月 脇町公民館閉館。その後建物は解体。 

【参考】
「新編美馬郡郷土誌」(笠井藍水(らんすい)編/美馬郡教育会/1957年)
「脇町誌」(笠井藍水編/脇町誌編集委員会/1961年)

四国地方

Posted by Sakyo K.