旧山上宮坂製糸所

岡谷市の近代化産業遺産に含まれている建物の一つを見に来た。
今回の旧山上宮坂製糸所は、1874年(明治7)創業の製糸場で、大正・昭和の製糸全盛期から戦後の復興期まで岡谷の製糸産業を支えた中規模工場の一つであった。
もう操業しておらず、事務所や工場などの建物の多く残っているが、倒壊しそうな建物もある。

西側にある表門から入る。
門の向こうに見えるのが、1927年(昭和2)に建てられた事務所である。

この建物が事務所だ。

ガラスが割れてしまいベニヤを打ち付けている部分もある。
建物の前には説明があるが、いつまで操業していたか書かれていなかった。

岡谷市の公式ウェブサイトに、外観だけ見学可とあったので来てみたが、自由に敷地内を歩くような雰囲気ではない。
というのも、事務所の東側にある建物は形が歪んで崩壊も近いような感じだったのだ。

こちらは居宅で、1893年(明治26)~94年に建てられたものだという。
上の風景を見た後だったのでちょっと気後れしてしまい、建物の近くまでいかないでしまった。

空中写真でなるべくはっきり写っているものを2枚選んだ。

1枚目は1975年撮影の写真だが、繭倉の姿がない。写真右上の点線で囲んだ部分と、あと事務所の西側にも繭倉があったのだが、既に解体されてしまったようだ。
だから、もうこの時点では操業していなかったのだろう。
以前は敷地の南側に講堂があったのだが、時期は分からないがこれも解体されたようだ。

写真に記入した建物の名称は、2024年に岡谷蚕糸博物館に寄贈された旧山上宮坂製糸の水彩画(鳥瞰図)の説明を参考にして記した。1938年の工場をイメージして描いた原画を、拡大複製して寄贈したそうだ。
1938年時点での名称なので、その後名前が変わった建物もあると思う。

2枚目は2011年の写真だが、現在とほとんど同じ状態である。
寄宿舎は撤去されたが、第1繰糸工場は倒壊したように見える。

事務所の向い側は、このような荷場になっている。ここで荷物の積み下ろしをしたのだろう。

事務所の南側は空き地になっているが、あまり歩き回る気になれなかったので、道路に出て撮影をした。ここから旧工場の建物が見える。やはり第1繰糸工場は倒壊したようだ。もう木に覆われてしまっている。

この土地と建物は現在は誰の所有になっているのだろう。
近代化産業遺産と名付けるのはいいのだが、このままではいずれ工場も解体せざるを得ないだろうと思う。

甲信越地方

Posted by Sakyo K.