明治の絵葉書
先日「明治版画史」(岩切信一郎著・吉川弘文館 2009年)という本を興味深く楽しく読んだ。
版画といっても新聞や雑誌、紙幣などの印刷で使われた技術も含んだ話で、明治時代の印刷史として書かれている。
明治35年に逓信省が発行した「万国郵便連合加盟25周年記念祝典」絵葉書が、非常に好評だったとか、さらに明治37年頃には絵葉書がブームになって、「手紙雑誌」「ハガキ文学」(明治37)、「絵はがき倶楽部」「月刊絵はがき」「はがき新誌」(明治38)などが発刊された…等、興味深い話が多い。
逓信省は「明治37年戦役記念郵便絵葉書」(明治37)も発行している。明治37年というのは日露戦争だ。
という感じの文をツイッターに上げたので、試みに国立国会図書館デジタルコレクションで「絵葉書」「絵はがき」を検索したら出ること出ること。面白いので、いくつか拾い読みをしてみた。
先にお断りしておくが、ただ読んだ物を並べて面白がるだけなので、深い考察とか期待しないように。
外国の絵はがきは別にして、国内の書籍に「絵葉書」の語が見られるのは1900年以降である。
国立国会図書館限定なので自宅から内容は見られないが、1900年の中央公論の目次に「繪はがき」と書かれている。
(参考までに、検索結果を載せておく。この検索は、国立国会図書館内限定の資料まで含めて検索した。1870年代に8点検索で出てきているが、すべて中江兆民が海外から日本に向けて出した海外製の絵葉書だった。)
では、いくつか資料から引用する。常用漢字に置き換えたり、送り仮名を足したりした箇所がある。
出版順は異なるが、まず説明的な文章があったのでこちらから。
明治41年(1908)に出版された「明治事物起源」という、さまざまなものごとの始まりをまとめたもの。郵便に関するものを以下に抜き出した。
「記念切手の始
逓信省にて記念郵券を発行せしは、明治廿七年三月主上銀婚式の祝典に際し、横長大型の二銭(紅色)五銭(青色)二種を発行せしを始めとす。
私製絵葉書の始
明治三十三年十月一日より、私製葉書発行許可の逓信省令あり。同五日発行の『今世少年』第一巻九号に、石井研堂案、小島沖舟筆、二少年シャボン玉を吹く図の彩色石版摺絵葉書を附録口絵として読者に頒つ。これ私製絵葉書の始めなり。
絵葉書の最も盛んに行われたるは三十七八年征露の役、在外将卒慰問に之を使用したるに起り、好事者の間に絵葉書熱沸騰したりしが、戦役の終局と共にややすたれ、記念スタンプ熱一時之に代わりしも、亦久しからずして火の消えたる如し。
記念絵葉書の始
逓信省発行記念絵葉書の始めは、明治三十五年六月二十日萬国郵便連合加盟二十五年祝典記念の絵葉書を発売したるにあり。記念すたんぷ亦この時に始る。記念絵葉書熱の旺盛を極めし三十八年十二月ころは、之を買ひ受けんとする者に、傷者を生じ、市場の価格も十数円にて取引せらるるに至る。」
「明治事物起源」明治41(1908)年1月 石井研堂著・橋南堂
私製絵葉書の始めが、「石井研堂案、小島沖舟筆~」ってあるけど、石井研堂って、この本の著者ではないか。信じていいんだろうな?
それはともかく、日露戦争時に絵葉書が大ブームだったのは確かなようだ。
次は少し遡って、時代順に資料を書いていく。
明治36(1903)年に発行された「最新広告法」という本だ。
「第十一章 絵葉書
絵葉書即ち私製葉書は、昨年逓信省令第四十二号郵便規則第十八條に依って出産したもので、我が政府が此の絵葉書の発行を許可した第一の目的は、之に依りて海外に我が美術風土を紹介して、盛んに外国人の来遊を促し、我が工芸品の販路を益々拡張して一廉の財源を作らせんとするに在ったのであるが。今日でも猶未だ政府の此の高尚な考案を全からしむる程の製品を出すことが甚だ少ないのである。言い換へれば西洋人の嗜好に投ずる様な美術的の絵葉書の製造されることが稀なのである。」
「最新広告法」明治36年5月 山崎繁樹著・宝文館
逓信省省令で絵葉書発行を許可したのは、海外への日本の宣伝が(「第一」かどうかはともかく)ひとつの目的だったらしい。
次に、海外の絵葉書との関連。
巖谷小波(いわや さざなみ)は、明治から大正にかけて活動した作家・児童文学者だが、彼が著書でドイツ(独逸)の絵葉書について書いていた。
「独逸の絵葉書
日本に絵葉書が行なわれてから、丁度二年目の正月、定めし今年の年始葉書には、種々(いろいろ)な趣向が出る事であらう。さしづめ多かるべきのが、卯年に縁(ちな)んだ兎の絵、次いでは御題の新年の海。乃至初日出、初烏、福寿草、松竹梅など、千様萬態の美を見るのは、今から楽しみで成らぬのである。
それに付き余も此の二年間、独逸に居て集め得た絵葉書を、忙しい中から繰りひろげて、試みに種類を別けてみると、イヤなかなかあるワあるワ!
全体絵葉書は、今から十年計り前、初めて独逸で発行されたのださうで。」
「小波洋行土産・下巻」明治36(1903)年5月 巖谷小波著・博文館
このあと小波は自分がドイツで受け取った絵葉書を次の10種類に分類している。
・名所旧跡 ・広告の手段 ・肖像写真 ・美術品の模写 ・臨時紀念(イベントに関するもの)
・季節に関する物(季節のあいさつ) ・美術家筆跡 ・滑稽風刺 ・風俗世態 ・花鳥山水
そして最後に「日本の絵葉書は紙質が悪い、改良を望む」と要望を書いている。
つづいて、明治38(1905)年に発行された「詩的新案絵はがきの栞」は「日本葉書交換会」の編集である。そういう会もあったのだ。
その中にも絵葉書の起源が書かれていた。
「絵葉書の起源
昨今世界各国に流行する絵葉書は、独逸国の工業家が、其顧客に広告的のものを贈ったのが嚆矢である。然るに好奇心に駆られた人々の注意を喚起し、意外に広告の効能があったので、各種の製造業者や商店等にて、我も我もと、競争で自己の工場や店舗を画図にして、四方へ撒き散らしたのが、今日の流行の始である。これは今より僅かに十七八年前のことで、絵葉書の歴史は、まだ餘り貢を作るだけの月日を経過して居らぬ。」
「詩的新案絵はがきの栞」明治38年 日本葉書交換会編・文学同志会
同じく明治38年に出版された「絵葉書の栞」は、妙に力が入っている。
前書きの最初のページは文字がつぶれてうまく読めないのだが、後半は読める。
「絵葉書は普通の葉書に比し書き方がむつかしいもので巧拙如何によって絵に美を添ふることも絵の美を損ふこともあるから巧に絵はがきを使用せんとするものは書き方の研究をせねばならぬ。本書はこれが指導者たらんとして世に出たのである」
「絵葉書の栞」明治38年4月 黒柳勲著・文禄堂
なんか、道を究めなくてはならない気分になってくるな。大変そうだ。
次の画像は、この本の巻末に掲載されていた広告の画像なのだが、こんな絵葉書も売っていたようだ。
太陽や灯火で透かして見ると図が浮かび上がってくるという絵葉書である。紙幣の透かしと似たようなものだろうか。よく分からない。「六枚一組郵税共定価五十銭」と書いてある。「郵税」というのは、郵便料金のことを昔はそう言ったらしい。
次は、様々な商売について宣伝している本。なので基本的に良さそうなことを大げさに書いているのではないか。だから逆に1行目の「流行遅れ」というのは、世間の評価としては実際そうだったのだろうと思う。
「(24)絵葉売
絵葉書もモウ大分流行遅れになったと云うけれど意匠や図案の変化はあれ絵葉書はイツまでもすたらない。一体この商売は、商売往来にもなければ年代記にもない、随って流行遅れになるとそれっきり上がったりになる……と云うものもあるだろうがそれは杞憂で之が無駄にも成らず反故にもならない。今五円の資本があったら昼でも夜でも大道へ出て優に二人や三人の家族を養うことが出来るから甚だ面白いではないか。」
「小資本営業の秘訣」明治41(1908)年11月 石垣冷雨著・出版協会
最後に、出版年代は少し戻るが、笑ったのでこれを掲載する。
「○○美人写真、絵葉書
絵葉書が流行を来して以降、此種の詐欺師が続々と現はれて来た。諸新聞へ○○美人写真又は絵葉書五枚にて何十銭なぞと広告する、其文句を見ると正(まさ)しく春画裸体画と想像の出来る様な事を書き、世人の色欲の弱点に付けこむ故、地方人なぞは好奇心を起こして、ドンナ物か散財して見ようと金を送れば、至ってツマラぬ写真や絵葉書を送られ、馬鹿を見るのである。」
「東京不正の内幕」明治40(1907)年3月 岩本無縫著・高木書房
この手の話は、いつの時代もあるんだねえ。
というわけで、目につくものをいくつか拾い出しただけなので、並べただけで終わってしまった。特に1905年から絵葉書に関する書籍がどっと増えているので、やはりブームだったのだろう。
国立国会図書館デジタルコレクションもまだほんの一部しか目を通していないので、他の本も読んでみようと思っている。
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