沖縄県の建物(明治~大正時代編)
最近ポップアップカードの更新をしていないので、カード作りのための準備として建物を調べた。
明治末から大正時代に建てられた沖縄県の建物について見ていこう。
まずは1917年(大正6)に出版された「沖縄県写真帖 第1輯」(親泊朝擢
編/小沢書店)から何枚か写真を引用する。
(1)最初の建物は沖縄県議会議事堂である。
1915年(大正4)12月に、那覇区に建てられた。
その後、議事堂の隣に1920年に県庁舎が建てられた。
議事堂も県庁舎も、1944年10.10空襲で被災した。
(2)次の写真は沖縄県立図書館だ。
1910年(明治43)に那覇区の県庁の敷地内に開館した。閲覧室は男子閲覧室、婦人閲覧室、児童室に区分されていた。3階建ての部分は書庫だと思うが、こちらは土蔵造だったという。
図書館は1940年に那覇市久米町に移転したが、1944年の空襲で焼失した。
(3)石垣島測候所。
石垣島測候所は1896年(明治29)に創設され、1908年(明治41)に瓦造りの二階建ての建物に建て替えられた。
その後、1926年(大正15)に鉄筋コンクリートに建て替えられたので、その際に解体されたのだろうと思う。
測候所長を勤めたのは仙台出身の岩崎卓爾
(1869~1937)である。彼は測候所の創設後、希望して1898年に石垣島測候所に着任し翌年所長となった。1932年に定年退職するまで30年以上所長を務め、気象・自然観測の他、石垣島の地誌・民俗調査や島民への啓蒙も行なった。退職後も生涯石垣島に住んだ。
(4)第百四十七銀行沖縄支店。(那覇区)
最初の建物は国立第百四十七銀行沖縄支店として1883年(明治16)に建てられた。
1907年(明治40)に私立銀行に転換し、写真の社屋を建築した。
太平洋戦争で被害を受けたが1950年頃に補修されて、その後は琉球銀行が使用したという。
(5)沖縄電気株式会社は、沖縄最初の電力会社である。
会社の設立は1910年(明治43)で、同年12月に送電を開始した。
写真の建物は煙突があるので発電所の写真なのだろうと思うが、発電所は那覇区久茂地にあったという。本店は那覇区西にあった。
沖縄電気は1943年には九州配電に統合された。
(6)大正劇場は1915年(大正4)に竣工した、鉄筋コンクリート造2階建ての劇場である。
那覇区西新町の埋め立て地に建てられた。客席数は1千余り。
1944年の10.10空襲で焼失した。
次の二枚の写真は、「沖縄県案内」(親泊朝擢/1920)から引用した。
(7)那覇区役所は1919年(大正8)3月の竣工。(那覇市の記録には1917年10月竣工とあるが、間違いらしい。)
設計は武田五一である。塔屋と平屋棟の2棟があった。
1896年に発足した那覇区は、1921年に市政を施行し那覇市となった。そのため以後は那覇市役所と呼ばれるようになる。
1944年の10.10空襲で被害を受け、焼け残った部分も後に解体された。
(8)沖縄糖商同業組合。
組合は1899年(明治32)の設立だが、写真の建物がいつ建てられたものか分からなかった。場所は那覇区(または那覇市)の西本町。
公定価格の実施や黒糖集荷統制規則の施行により組合の機能を果たせなくなり、1942年に解散した。
建物のその後についても情報を見つけられなかった。
(9)最後の写真は、1916年(大正5)に建てられた那覇バプテスト教会である。
場所は那覇区の久米町。写真の左端に「電車のりば:久米」の表示が見える。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズだという。
これも1944年10月10日の空襲で焼失した。
こうやって建物を見ていくと、多くが戦争で失われてしまったことが分かる。
これらの建物のいくつかをモデルにして、ポップアップカードを作ろうと思っている。ちょっとメインサイトの更新をサボりすぎたからな。
【追記】(2024-10-16)
公開時の那覇区役所の説明に西暦の表記ミスがあったので修正した。
【参考】
「沖縄県写真帖 第1輯」(親泊朝擢編/小沢書店/1917)
「沖縄県案内」(親泊朝擢/1920)
「沖縄産業要覧」(沖縄県内務部/1920)
「宣教の歩み:沖縄バプテスト八十年史」(沖縄バプテスト連盟編/キリスト新聞社/1973)
「沖縄県史 第6巻」(沖縄県教育委員会編/沖縄県教育委員会/1975)
「沖縄県史 別巻」(沖縄県教育委員会編/沖縄県教育委員会/1977)
「沖縄大百科事典 上巻・下巻」(沖縄大百科事典刊行事務局編/沖縄タイムス社/1983)
「大正期沖縄県下における公共建築の特性」(川島智生/神戸女学院大学論集 第54巻2号/2007)
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