ポップアップカード:島根県の灯台

2022-01-23

2021年11月の報道によると、文化審議会が、松江市の美保関灯台と出雲市の出雲日御碕(いずもひのみさき)灯台を国の重要文化財として制定するよう文部科学大臣に答申をした。
ともに100年を超えて現役の灯台であり、島根県内の灯台が重要文化財になるのは初めてということだ。

そこで、これらをポップアップカードにした。

最初の写真は、美保関灯台のポップアップカードである。

美保関灯台は、山陰地方最古の石造灯台で、1898年(明治31)に完成した。明治初期に来日して各地に灯台を建てたイギリス人技術者リチャード・ブラントンの様式を踏襲して、円筒形の塔の上に半円球のドームを載せているが、設計したのはフランス人技師らしい。

また、建築当初は「地蔵崎灯台」だったのだが、各地に地蔵崎の名前があったので、1935年に美保関灯台に改名された。

灯台にはベランダ状の通路が設けられているが、ポップアップカードでは別パーツを使って組み立てた。

このパーツは、こんな形に折り曲げて、接着されている。

もう一点、出雲日御碕灯台のポップアップカードも作成した。

灯台の形が細長いので仕方ないのだが、カードの余白が広くなってしまった。
あまりに広かったので、左側に灯台の周囲の塀の一部を作ったのだが、説明されないと分からないと思う。

出雲日御碕灯台は1903年に建造された灯台で、43.65mの高さは、石造灯台では日本一だそうだ。建造時は「日ノ岬灯台」という名前で、1935年に出雲日御碕灯台と改名された。この灯台は二重構造になっていて、外壁が石造、内壁がレンガで作られている。設計したのは石橋絢彦である。

石橋の名は、明治の灯台史で重要な人物として出てくるので、おおまかな流れを書いてみる。

明治時代、日本最初の洋式灯台建造に関わったのは、フランス人技術者レオンス・ヴェルニー(1865年来日・招いたのは江戸幕府)らであるという。ヴェルニーの関わった灯台では、明治村に移築された品川灯台が現存している。

その後、イギリスの土木技師 リチャード・ブラントン(1868年来日)によって28基の灯台が建造された。彼は「日本の灯台の父」と讚えられており、日本人灯台技術者の育成も行った。彼の通訳だった藤倉見達(1851-1934)は行動を共にしている間、教えを受けた。その後エディンバラ大学に留学して灯台建設技術を学んだ。
1885年に燈台局の局長に就任している。

藤倉を補佐していたのが石橋絢彦(1853-1932)だった。石橋は工部大学校土木科を卒業後、1880年にイギリスに留学して灯台建設技術などを学び、1883年に帰国した。帰国後工部省に勤務して藤倉を補佐し、後に藤倉の後を受けて航路標識管理所長(燈台局の後身)となった。
明治時代の灯台事業の発展は、藤倉・石橋の二人の力によるところが多いのだという。

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今回は、重要文化財指定の答申をきっかけに二つの灯台のポップアップカードを作成した。美保関灯台は別パーツを使っており、出雲日御碕灯台は余白が広いため、どちらも型紙公開とはしていない。
そのためメインサイトの方は後日更新します。

【参考】
「建築史の世界 第12回 灯台が照らす日本の近代」(藤岡洋保・「コア東京」2021年1月号)
「日本燈台史」(海上保安庁燈台部編集・燈光会・1969年)