旧赤穂村役場(2)
(前回の続き)
役場時代に事務室だった部屋に不釣り合いな、この演壇のようなものの正体は、右側に立てられている説明パネルに書かれていた。
実は、この建物は全体を丸ごと移築したのではなく、主要部分を移築したものだったのだ。
1922年に発行された「赤穂村役場庁舎建築記念」に平面図が掲載されている。
それを見ると、新築時の庁舎は中庭を囲んで四方に玄関棟(2階に政庁)、事務室、会議室、製図室や湯呑所などがある建物だったことが分かる。
議員控室があるので、会議室というのは村議会議事堂ということだろう。
1970年11月に新庁舎が竣工し、旧駒ヶ根市役所は閉庁となった。敷地は売却され、旧庁舎も撤去されることになった。
しかし市民から旧庁舎の保存が叫ばれて庁舎の前面部分が残されることになり、1971年に現在地に移転復元された。会議室自体は移築されなかったが、議長壇の部分だけ(もとの場所とは違うが)事務室の一部に復元したということだ。
現在の建物を見ると事務室が広いとは思わないだろうが、移築前の事務室は今の倍以上の広さがあったのだ。駒ヶ根市誌などに「壮大な庁舎」と書かれていたが、新築当時の構造を知れば、その表現も納得できる。
ここは事務室のカウンターの前の、来訪者が出入りするスペース。平面図では「公衆溜」と書かれている。
現在は消防資料室というコーナーになっている。
玄関から外へ出て、建物の周りも見てみよう。
事務室前の「公衆溜」へ入る玄関。役場に用事がある村民はここから入ったはずだ。
建物の裏側。膨らんでいるのは階段の位置。その真上が正庁。
少し奥まで歩いてみた。
建物を一周はできない様子なので、このあたりで引き返した。
1922年発行の「赤穂村役場庁舎建築記念」に当時の写真が掲載されていたので、引用する。
移転前は正面玄関が東を向いていたので、これは北西側から撮影した写真ということになる。
手前の白い壁の建物が倉庫で、その右側の奥にあるのが会議室だ。倉庫の左側の低い屋根は便所だった。
便所の左側、少し奥の建物に入口が見えるが、職員昇降口はここが使われていたようだ。
こちらは南西方向からの写真。
手前の左側が会議室、右側が事務室で、事務室の手前に村長室や委員会室があった。
正面玄関の前を通って、郷土館を出た。
郷土館の隣には、「旧竹村家住宅」がある。写真は長屋門で、その奥に主屋がある。
駒ヶ根市中沢(天竜川の東岸)にあった江戸時代の名主の住居を移築したものだそうだ。そちらも見学したが、今回の記事はここで終わる。
【参考】
「赤穂村役場庁舎建築記念」(1922年/赤穂村役場)
「駒ヶ根市誌 現代篇下巻」(1974年/駒ヶ根市誌編纂委員会/駒ヶ根市誌刊行会)
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