旧志賀小学校訪問

旧中込学校を見た後、佐久市内にある旧志賀小学校を訪問した。
1961年に合併で佐久市となるまでは、ここは東村という村だった。
東村は1955年に三井村と志賀村が合併して誕生したので、それ以前は志賀村という村が存在した。
その志賀村の時代に建てられた校舎だ。

写真は道路から見える体育館。そこに「志賀小学校跡」という碑が建てられている。

志賀小学校は、1990年の3月に三井小学校と統合され、閉校となった小学校だ。

閉校後は佐久市の文化財課が使用していたが、2017年に佐久市中込の駒場事務所に移転して、現在はこの建物は利用されていないようだ。建物は佐久市が管理していると思われる。

校門も特に閉鎖されているわけではなく、当日もグラウンドを地域の方が利用していて、敷地に車が停められていた。そこで自分も中に入り、校舎の外観だけ見学させてもらうことにした。

志賀小学校跡の石碑。

裏側に学校の沿革が記されていたので書き写す。(年号は漢数字表記だったが算用数字に置き換えた)

「志賀小学校之沿革
明治6年  志仁学校として法禅寺院内に創設
明治13年  駒込分教場創設
明治15年  北佐久郡第十八番学区志賀学校となる
明治19年  尋常小学志賀学校となる
明治34年  志賀尋常高等小学校となる
      本郷字神明ノ木、現在地に校舎建設
昭和16年  志賀国民学校となる
昭和22年  志賀小学校となる
昭和30年  東村立志賀小学校と改称
昭和36年  佐久市立志賀小学校と改称
昭和40年  駒込分校統合に伴い廃校
平成2年  三井小学校と統合のため百十七年の歴史を閉じる」

校舎は、大まかに言うと南校舎と北校舎、それから体育館から成る。それらが渡り廊下で接続され、南校舎と北校舎の間には、さらに小さな棟がいくつかあった。

体育館は、1955年(昭和30)の竣工。

道路から見た南校舎。逆L字型をしている棟で、手前は音楽室など特別教室だったらしい。左側には職員室や保健室などがあり、玄関は写真からはみ出してさらに左側にある。

手前の空き地、写真でいうと右半分くらいのところは、閉校前はプールがあった場所。プールは1961年に完成した。

上の写真の右端に見える出入り口に近づいて撮影。この南校舎は1901年(明治34)に建てられたものだということだ。

南校舎に沿って西へ移動した。ここが南校舎の玄関。撮影している場所の後ろには体育館がある。

玄関の軒。

渡り廊下を通って、南校舎の裏側に回った。そこに北校舎があった。
北校舎は、南校舎より後、1924年(大正13)に建てられたもの。こちらが教室棟だった。

北校舎の前を東側に移動。この写真で、渡り廊下を左側に進むと南校舎がある。

北校舎と南校舎の間には、いくつか建物がある。

校地の東側にある道路に出た。写真の左が南校舎。右側は、ひとつ上の写真の建物。

そのまま道路を南に進んで、校門に戻った。本校舎の前にも石碑があったので確認。

百周年記念碑だった。1973年(昭和48)に設置されたもの。

最後に再び校門の写真を。右側の門柱は表札が外されていたが、左側の門柱には、文字が薄くなったが志賀小学校と書かれた表札が残っている。

なお後で閉校記念誌を見ると、1948年に増築校舎ができたとあったのだが、写真撮影時には知らなかったので、どの部分が増築校舎だったのかよく分からないままである。
詰めが甘いんでござるよ。

【参考】
「閉校記念誌 思い出の志賀小学校」 1990年3月 志賀小学校閉校記念事業実行委員会 発行 

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