旧志賀小学校再訪

2021-05-12

去年訪問した、長野県佐久市にある旧志賀小学校。統合のため1990年に閉校した小学校だ。
1枚目は、去年撮影した写真である。

校門前の道路から学校の敷地を撮影した。左側の建物は、1955年に竣工した体育館である。
さて、この5月の連休に再び旧志賀小学校を訪れた。

ところが…。あったはずの体育館が消えていた。建物は解体され、木も切られ、すっきりとした広場になっていた。
1枚目の写真と同じ構図に調整しようと思ったので、最初は門柱の大きさを合わせてみた。そうしたら、地面の舗装の様子が一致しない。どうやら、門柱を数メートル後退させたようである。

構図を合わせ直すと、2枚目の写真になった。これで、切り株と木の位置も合う。

まあ、去年の時点で体育館はかなり傷んでいたので、解体も仕方ないと思う。

ところで、体育館の前にあった「志賀小学校跡」の石碑はどこにいったのだろう? 処分するようなことはしないと思うので、どこかに移設されているはず。

見つけた。南校舎の前に移設されている。ただ、向きが逆になっている。「志賀小学校跡」という題字が後ろ側になり、沿革を記した面が表を向いている。
(以下、今年撮影した写真には日付を入れない。昨年の写真を使う場合だけ年月を記入することにする。)

体育館の周りにあった木は伐採され、薪などとして欲しい人に持っていってもらったようである。「樹木伐採により発生する木材をお譲りします」というお知らせプリントがまだ残されていた。
南校舎の前にはまだ木が少し残っていた。

この南校舎は、1901年(明34)に建てられたものである。他の校舎もまだ残っているが、
使用されていないのでいつまで残るかは分からない。

次の写真は、国土地理院のサイトで見られる航空写真から一部を切り抜いたものである。
1975年の撮影なので、まだ学校が使われている時期だ。プールも残っている。

(1)が南校舎。(2)は解体された体育館。
(3)の北校舎は、1924年(大正13)に建てられた。
そして前回の記事を書いた時には分からなかった、1948年築の増築校舎は、推測だが(4)がそうなんだろうと思う。
現在そこにはプレハブが建っているので、(4)の校舎は解体されたようだ。閉校記念誌に使われている航空写真(1989年撮影)にはまだ建物が写っているので、閉校した後で、市の施設として使うときにプレハブに建て替えられたのだと思う。(未確認)

(5)は、この写真の建物だが、給食室と会議室があった棟である。

さて、今日の話のメインはここからである。
志賀小学校の沿革によると、学校の始まりは1873年(明治6)に法禅寺の境内に建てられた志仁(しじん)学校である。1882年(明治15)に志賀学校という名前になり、1901年(明治34)に現在地に新校舎を建設した。
当然、南校舎が一番古い建物だ、と思っていたのである。

ところが。
航空写真の(6)の建物。
これが、1873年に建てられた志仁学校を移築したものだというのだ。
後で知ったので、今回はろくに写真を撮影していない。幸い、昨年訪問した時に撮影したものがあったので、そちらを掲載する。

別の方向から。左にあるのは南校舎である。

去年の写真ばかり使っていると、まるでこの建物がなくなってしまったかのような気になってしまうので、今年撮影したものも載せておく。今回は前回と変わったところを意識して撮影していたので、これくらいしか写していない。でも、建物はまだあるので大丈夫。

これが志仁学校を移築したものだと知ったのは、旧大沢小学校にあった展示パネルに、「今も残る志仁学校(明治6年建築)」と書いてあったおかげである。
その後、閉校記念誌を再確認したところ、校舎配置図にも「旧志仁学校」と明記されていた。閉校前は倉庫として使われていたようだ。

というわけで、この建物が校地で一番古いということが分かったのだが、屋根は葺き替えられているので、竣工当時の姿のままではないのだろうと思う。
佐久市は今後校舎をどうしていく予定なのだろうか。

【参考】
「志賀学校百年史」1974年 佐久市立志賀小学校・開校百周年記念事業推進委員会 編集・発行
「閉校記念誌 思い出の志賀小学校」1990年 志賀小学校閉校記念事業実行委員会 発行

日本の建築

Posted by Sakyo K.