旧大沢小学校

長野県佐久市にある旧大沢小学校。2018年に一度訪問したが、このゴールデンウィークに再び見学した。
3年前とほぼ変わらない姿があった。

でも前回来た時より少し明るい感じがする。その場では気付かなかったが、あとで以前の写真と比べたところ、手前の池だったところが枯山水のように小石と砂を入れて模様を付けてあった。
以前は池の水が涸れた状態で放置されていたので、きちんと手入れをされているのを見るのはうれしい。

この校舎は、1893年(明治26)に竣工した校舎である。その後校地が整備され校舎も建て増しされていった。
1906年(明治39) 校庭拡張
1908年(明治41) 東校舎・雨天体操場新築落成
1942年(昭和17) 西校舎竣工
1950年(昭和25) 西校舎増築

そして1983年(昭和58)3月、野沢小学校と統合され閉校となった。本館以外の建物は解体され、東には大沢保育園、西には社会体育館が建てられた。

今回は、前回の記事で触れなかったことを中心に書こう。

ここは中央階段を上ったところの廊下で、東の方向を見ている。写真では窓の光で見えにくいが、廊下の突き当たりに梯子が立て掛けられている。

この梯子から屋根裏を見ることができるのだ。

さあ、この梯子だ。落ちたら自己責任らしい。
高いところは苦手なんだが、上る。

でも怖さではなく体の衰えを感じた。足が思うように上がらないのだ。梯子の段の間隔が広く感じる。年齢のせいもあるが、一番は運動不足だ。自分の体力のなさの方に危機感を感じた。

それでもなんとか、屋根裏をのぞき込むところまで上がることができた。
電球がついているが、暗くてよく分からないのでストロボを光らせて撮影。

屋根裏はこんな様子だった。

図書室にあった展示パネルには、小屋組みはクイーンポストトラス造りだと書かれていた。

校長室に展示してあった、旧校舎の棟札。左側は、1942年(昭和17)に建てられた西校舎のもの。当時は大沢国民学校と呼ばれていた。「校運長久」という表現を初めて見たが、戦時下の影響を受けているのだろう。

右側は、1950年(昭和25)の棟札なので、西校舎増築のときのものだろうか。大澤中学校と書かれている。戦後の学制改革(1947年)で、国民学校高等科1年生が中学1年生になったのでそのために表記が変わったのだろうと思う。

こちらは職員室。数年前に訪れた時は黒板表記に注目していて、その上の校名の扁額には気付いていなかった。これを書いたのは大給恒(おぎゅうゆずる)、同じ佐久市にある龍岡城を作った、信濃田野口藩(のちに龍岡藩に改称)の元藩主だ。

二階の家庭科室には、この地方の古い木造校舎の写真パネルが展示されている。前回来た時も展示されていた。
その後、2020年に旧志賀小学校を訪問したので、このパネルに私は目が向いた。旧志賀小学校については、近いうちにもう一回ブログに書く予定。

最後の写真は、帰り際に正面玄関内側から撮影したもの。このガラスが好きだ。二階の図書館入口上部にもほぼ同じデザインのガラスがはめ込まれている。

日本の建築

Posted by Sakyo K.