飯田市美術博物館(1)
2025年1月3日、建築家の原広司さんが亡くなった。
長野県内の建物では、軽井沢の田崎美術館(1986)や飯田市の飯田市美術博物館(1988)、飯田高羽合同庁舎(2002)などが彼の設計だという。
私は11月初旬に飯田市美術博物館を訪問したので、今回はその時の写真を紹介する。
この日は柳田国男館を見てから美術館に来たので、正面ではなく東側から入ることになった。
建物はこのような形になっていて、屋上に上がることができる。
今回は中に入る前に屋上を歩いてみよう。
図中のアルファベットは、以下の写真の撮影場所を示している。
最初の階段を上ったところ。
後で図を見たから自分の居場所が分かるが、歩いている時は建物がどのような形になっているのかよく分からなかった。ちょっと探検気分だ。
また階段を上る。
階段を上がったところで振り返って撮影。
ここから先は通路は真っすぐ西へ向っているようだ。
建物の中央付近。通路の北側が一段高くなっていて、上に何か立てられている。
上がってみた。左側の2つを見た時はローマ遺跡などを連想したのだが、右の三角形はそれとはイメージが違うな。何を表しているのだろう。(後で分かった。)
G の位置から東を見ると、矢印で示したところに入口があって「展望台入口」と書かれていた。展望台に上がれるのだ。ただし、屋上から直接行くことはできない。館内を通らないと展望台入口にはたどり着けないのだ。
この建物は美術館閉館時にも屋上に出入りができるから、安全面を考えたらこのように設計するしかないだろうな。後で展望台に上ってみよう。
プラネタリウムのドームがある。
建物の西側に来た。
右端に小さく見える白い建物は、追手町小学校の校舎だ。
1929年に建てられた校舎で、2005年に校舎と講堂が国の登録有形文化財に登録された。
西側の階段を下りる。
ここにも、三角形の鉄骨のオブジェが立っている。
階段を下りて、正面玄関にやって来た。
北側からの写真をあまり撮らなかったので、最後だけ2023年に撮影した写真を使おう。
この屋根の形は南アルプスをイメージしたものだという。
原広司さんは1936年川崎市生まれ。終戦直前に父母の出身地の長野県下伊那に疎開し、小学校から高校まで飯田市で過ごしたのだそうだ。
そういった縁で飯田市美術博物館の設計を任されたのだ。
さて、中に入ろう。
この日は「菱田春草生誕150年記念特別展 創造の道筋」(会期 2024年10月5日~11月4日)を見に来たのだ。会期ぎりぎりで間に合った。
まず展覧会を見てから、その後で展望台にも上がろうと思う。
(つづく)
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