旧島々駅舎

旧波田町役場で講演があった日、講演前に私は松本電鉄上高地線の新島々駅前にいた。
現在は松本電気鉄道はアルピコ交通株式会社に変更になっているので「アルピコ交通上高地線」と呼ぶのが正確なのだろうが、私の中ではいまだに松本電鉄の方がしっくりくる。

しかし、この日の目的は新島々駅舎ではない。駅舎の反対側、私の後ろに目的地はある。

こちらです。

この建物は、現在は「松本市波田観光案内所」ということになっているが、実はもう使われていない(後述)。

建物の由来の方を書いていこう。

新島々駅と旧島々駅の関係だが、もともとは上高地線の終点は「島々駅」だった。
1921年(大正10)、筑摩鉄道により「島々線」として松本駅~新村駅まで開業した路線は、翌年(大正11)に島々駅まで全通した。この年、社名を筑摩電気鉄道と変更し、さらに1932年には松本電気鉄道となった。

昭和40年頃には、島々駅は上高地の玄関口としてにぎわっていたが、増えた登山客をさばくのに駅前広場が手狭になってしまった。
そこで1966年(昭和41)7月に一つ前の無人駅「赤松駅」にバス乗り場を移設することにした。観光客向けということだろう、10月に赤松駅は「新島々駅」と改称された。
観光客が新島々駅で降りるので、島々駅まで乗るのは地元の人だけとなった。

1983年(昭和58)9月、台風10号により島々~新島々間で土砂崩れが起った。復旧費の試算は2000万円とのことだったが、地元の人しか利用しない島々~新島々間の年間収益は100万円だったという。
これでは採算がとれないので、1985年(昭和60)に島々~新島々の区間は廃止されることとなった。三年後には駅舎も解体された。

その後、登山客らから駅舎の復元を望む声があり、1991年(平成3)に波田町が、図面を元にして新島々駅の向かいに旧駅舎を再現し「旧島々驛舎」と名付けた。

ネット上の一部では移築したと書いてあるものもあるが、これは移築ではなく復元建築であるとのこと。ただし、一部の部材は流用されたらしい。(情報未確認)

というわけで、駅舎には「旧島々驛舎」の文字と、「波田観光案内所」の両方が記されている。波田観光案内所の文字バランスがおかしいが、多分合併前の名前は「波田町観光案内所」だったのだろう。「町」の字を抜いて調整したのだと想像する。

せっかくなので、外観だけだがあちこち見て回る。

近づいて正面から。窓の貼り紙は「落雪注意」。

正面から左側へ回り込む。ベンチが設置してあった。

裏側はこんな感じ。

西側の窓ガラスから中を覗いてみた。木材の感じとか新しいので、やはり移築ではなく新築のようだ。壁の掲示物も全てはがされており、がらんとしている。もう使われていないのだな。

松本市のサイトに「施設カルテ」というものがある。そこに「波田観光案内所」も掲載されていた。
文書には、供用開始日が平成23年(2011)4月1日(これは波田町が松本市と合併した翌年だ)、供用廃止日が平成28年(2016)4月1日と書かれている。

さらに、アルピコ交通上高地線の渕東なぎさ公式ツイートで、2015年8月25日に「建物の老朽化により本年度は営業していないとのことです」という一文を見つけた。
なので施設の廃止は2016年だが、2015年にはもう営業していなかったらしい。

今後はどうなるのだろう。他の用途があるのだろうか、それとも解体されるのだろうか。
老朽化というが、築30年で老朽化というのは早い気がするが…。

最後の写真は、新島々駅の待合室で見つけたものだ。旧島々駅舎の模型が置かれている。

新聞記事(2013年3月15日)が掲示されていて、安曇野市の伊藤さんという方が作った模型だと書かれていた。

【参考】
「波田町誌 歴史現代編」(波田町誌編纂委員会編・1987年・波田町教育委員会発行)
「大いなる波田 まほろばのまち136年のあゆみ」(波田町合併記念誌 2010年)

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