旧山一林組製糸事務所
ここは長野県岡谷市。
岡谷市(※)は明治時代から昭和初期頃まで製糸業の中心地として栄えたので、それに関する建物が残っている。
その一つが、この旧山一林組製糸事務所だ。
(※ 市制施行して岡谷市となったのは1936年のことで、それまでは平野村だった。)

山一林組というのは、1879年(明治12)に林瀬平が創業した会社で、1883年(明治16)から片倉兼太郎らが作った開明社という製糸結社に加わって操業していた。1903年(明治36)に開明社から分離独立して合名会社林組を名乗るようになった。(「山一」は屋号。)
山一林組は岡谷で5指に入る大製糸工場となり、昭和初期には県内の他、埼玉・静岡・愛知県にも工場を持ち全国6位の釜数を誇る企業となった。
この建物は1921年(大正10)に山一林組の事務所として建てられたものである。
建物は木造2階建で、外壁がタイル貼りの洋風だが屋根は和瓦である。

現在は岡谷絹工房が中に入っており、岡谷絹の機織り体験(有料)ができるそうだ。
販売コーナーもあり内部の見学もできるようだが、開館しているのが火・土・日曜日の9:30~16:00だけとなっている。
私が訪れたのは土曜日だったが訪れたのが閉館5分前で、中を見るのを逃してしまった。
内部は1階の大部分を事務室が占め、他に和室が2室ある。2階は講堂と和室が2室、洋室が2室あるそうだ。
山一林組が世間で大きな話題になったのは、1927年(昭和2)の労働争議である。(8月28日~9月18日)
約1200人が参加した争議だったが、会社側が工場・寄宿舎を閉鎖し、労働者側の敗北で終ってしまった。
争議後、山一林組は操業を再開したが、1929年に世界恐慌があり、県内の製糸業者がいくつも休業に追い込まれる。
山一林組は1929年に株式会社化したものの、翌年倒産してしまった。
倒産後の経緯はよく分からないが、1948年にミハト製糸となり、さらに1961年に信栄工業と名称を変えて精密業に移行したそうだ。(1972年閉業。)
航空写真で事務所と工場の敷地の変遷を見てみよう。
この少々画質が荒い写真は1947年撮影の航空写真だ。事務所の建物を矢印で示した。
その南側に横向きに並んでいるのが工場棟だ。

次の写真は1975年。
工場の数が減っている。閉業してすぐ解体が始まったのだろうか。
ここには掲載しないが、1980年の航空写真も建物の数は75年と変化がない。

2000年になると、残っているのは事務所だけになっている。
20年間の間にほとんど解体されてしまった。

実は事務所以外にもう一つ当時の建物が残っている。事務所の北側の門の脇にある守衛所だ。これも事務所と同じ時期に建てられたようだ。

事務所と守衛所は閉業後も信栄工業が所有していたが、2003年(平成15)に岡谷市に譲渡された。
2005年に、2件とも国の登録有形文化財に登録された。
2007年には製糸業が盛んだった時代を物語る15件の遺産が近代化産業遺産に認定され、事務所と守衛所もそこに含まれている。

事務所の西側面。

こちらは事務所の玄関。表札の下に登録有形文化財のプレートが、上に近代化産業遺産のプレートがある。

今回は中を見学することができなかったので、次の機会にまた来よう。
この後、近くにある別の産業遺産を見に行こうと思う。
【参考】
「日本製糸業の大勢:成功遍歴」(岩崎徂堂編/博学館/1906)
「旧山一組製糸事務所・建設100周年記念」(岡谷市教育委員会/2021)
「近代化産業遺産群」(「旅たびおかや」岡谷市観光協会サイト)
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