高遠さくら祭り2024(1)
高遠さくら祭りが開催されている高遠城址公園を訪れた。
高遠城趾公園は長野県伊那市高遠町にある公園で、旧高遠町は江戸時代は高遠藩の城下町だったところだ。(2006年に高遠町・伊那市・長谷村が合併して伊那市となった。)
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城址公園の西側の駐車場はいっぱいだったので、公園の北側にある駐車場に車を停めた。写真のループ橋は2000年に竣工したもので、高遠城址公園の渋滞解消のために造られたらしい。
私が車を停めた場所にPのマークを書いた。ループ橋は矢印で示してある。
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国道152号線を通る車は高遠公園下の信号と高遠大橋の間から東に入り高遠城址公園に上っていくのだが、さくら祭りの期間中は公園内を一方通行にしてループ橋を出口にしているようだ。
私は徒歩で高遠公園下の信号へ行き、大手坂(地図上では殿坂とある辺り)を歩いて城址公園に入った。
坂を登り、歩道と車道が合流するところに「大手門跡」の説明板が立っている。
城が造られた当初は大手門は東にあったのだが、江戸時代初期に西側に移ったらしい。
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ここは三の丸。
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高遠城址公園のタカトオコヒガンザクラは、明治時代になって廃城とされた城跡が荒れていくのを憂えた旧藩士たちが、1875年から移植をしたのが始まりらしい。現在1500本ほどあるそうだ。
三の丸に石碑があった。長野県高遠高等学校跡とある。1950年から1984年まで、ここに高遠高校があったようだ。1985年に高校の同窓会が建てた石碑だ。
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三の丸からさらに坂を上る。
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ここは高遠藩の藩校だった進徳館。今回は入らなかったが無料で見学できる。
1872年に廃藩置県により藩校は廃止されたが、翌年から1886年まで小学校として使われたそうだ。
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北ゲートから公園内に入る。目の前に見える建物が高遠閣。(別記事で書く予定)
さくら祭りの期間中は入園料が必要だ。入園券売り場の矢印があるのでそちらへ向う。今年から入園料が600円になった。
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園内の案内図。
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現在地は①だ。私は体力的に全部歩くのは無理だと思うので、今回はとりあえずまず②の本丸に行き、その後③の美術館を見学しようと思っている。
桜雲橋(おううんきょう)という名前の橋を渡って本丸に入る。写真は本丸に入る問屋門(とんやもん)。門は人通りが多いので他の人が写らないようにするのが難しい。そういうわけで上を向いて撮影した。
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この門はもともと城にあったものではなく、高遠城下の本町の問屋役所(公用の荷物の運輸や、旅人の宿泊などを管理する役所)にあったものを、戦後に役所が解体される際に移築したものだそうだ。
本丸内にも説明板がある。
高遠城は天文16年(1547)武田信玄が山本勘助・秋山信友に命じて築かせた城である。天正十年(1582)、城主仁科盛信(信盛ともいう)が53,000の織田軍に攻められ、3000の城兵で戦い戦死を遂げたのがこの本丸だという。その後、保科、鳥居と城主が替わり、元禄4年(1691)から明治に廃城となるまで内藤氏の居城であった。
…というようなことが書かれていた。仁科五郎盛信は武田信玄の五男である。
本丸の桜。
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太鼓櫓。これは明治時代に建てられたもの。
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本丸跡には新城藤原(しんじょうふじわら)神社がある。
新城神社は仁科五郎盛信を祀っており、藤原神社には高藤藩主内藤家のルーツである藤原氏の始祖・藤原鎌足を祀っている。
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本丸の北側にある「高遠公園の碑」。
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1881年(明治14)に建てられたもので、地理的歴史的考察を踏まえて公園となるまでの沿革が漢文で記されている。(…と説明板に書いてあった。石碑を読んだわけではない。)
本丸にはこのような屏風も置かれていた。本物の屏風ではなくパネルを屏風のように作ったものだ。
高遠出身の池上秀畝が描いた屏風「高遠街図真景」の右隻をパネルにしたものだという。今年は池上秀畝の生誕150年にあたるらしい。
もとになった屏風の絵は1894年に描かれたもの。
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現在、信州高遠美術館で池上秀畝の展覧会が開催されている。(2024年3月2日~5月19日)
本丸から南へ向う。ここは南曲輪。
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桜の向こうに街並みと木曽山脈が見える。
(つづく)
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