高遠さくら祭り2024(2)
私は今高遠城址の南曲輪にいる。ここで橋を渡る。
「白兎橋」という橋だ。

橋の手前に説明板が立てられているので、その内容を要約する。
廣瀬省三郎は、法幢院曲輪(ほうどういんぐるわ)を買い上げて公園として寄附した。その時に作った橋だそうだ。白兎というのは彼の祖父の廣瀬治郎左衛門の号だという。
しかし橋がいつ建てられたのか書かれていない。(私はそちらに興味があるのに…)
localwiki伊那のサイトに白兎橋の項目があり、それによると最初の橋が建てられたのが1934年で、現在の橋は1970年に掛け替えられたものだという。
親柱は1934年のものが残っているらしい。親柱には文字が刻まれているとあったので、自分の撮った写真を見返したら、一つだけ親柱の文字が写っている写真があった。

この写真では分かりにくいが「はくとけう」とひらがなで書かれている。
他の親柱も撮影しておけばよかった。
橋を渡ったところが法幢院曲輪だ。高遠城の南端にあり、昔は法幢院というお寺があったのでこの名前で呼ばれている。

向こうに見える石碑は、廣瀬奇璧と河東碧梧桐の句碑だ。一つの石碑の両面にそれぞれの句が刻まれている。
こちらは川東碧梧桐の句。

「西駒は斑雪(はだれ)てし尾を肌脱ぐ雲を」と書かれているそうだ。
反対側には廣瀬奇璧の「斑雪(はだれ) 高嶺 朝光(あさかげ) 鴬 啼いて居」とある。

句碑の説明板を見て、白兎橋で名前が出た廣瀬省三郎のことが分かった。廣瀬奇璧というのは省三郎のことで(奇璧は俳号)、彼は高遠出身の鉱山業者だったのだ。高遠閣の建設にも尽力した人だという。その情報を白兎橋の説明板にも書いてもらえると分かりやすい。
法幢院曲輪の東側に、公園の南出口がある。美術館に行くには公園を一度出ることになるが、最初に買った入場券を持っていれば再入園は可能だ。
美術館前の看板。池上秀畝の生誕150年の展覧会が開催されている。
リーフレットにも使われているこの絵は、1943年制作の「決闘」だ。

池上秀畝(1874-1944)については、名前を聞いたことはあったがどんな人か全く知識はなかった。
高遠町出身の日本画家で、明治から昭和にかけて活躍した。1874年といえば飯田出身の菱田春草も同じ年の生まれだった。直接の交流はなかったようだが。
ここが美術館の入口。では中に入ろう。(内部の写真はない)

私が良いなと思ったのは、最後に展示してあった写生である。真面目に、というか誠実に描いている印象を受けた。
池上秀畝生誕150年の展覧会は、ここだけではなくて他の美術館でも開催している。
信州高遠美術館(3月2日~5月19日)のほかに…
・伊那市立高遠町歴史博物館では「秀畝の画業」が、2024年2月23日~6月16日。
・練馬区立美術館で「生誕150年 池上秀畝-高精細画人-」が2024年3月2日~5月19日。
これは巡回展で、このあと県立長野美術館に来るようだ。
・長野県立美術館「生誕150年 池上秀畝-高精細画人-」は、2024年5月25日~6月30日。
・伊那市創造館では、「池上秀畝生誕150年記念展」が2024年3月16日~5月27日。
・長野県伊那文化会館では「生誕150年 池上秀畝-ただ絵が好きで好きで-」2024年3月20日~5月12日。
長野県立美術館以外は現在開催中である。
さて。
美術館を出て再び高遠城址公園に入る。ここから高遠閣の方に戻る予定だ。
白兎橋の下を確認しておこう。橋の下を通って振り返って撮影。
上にも書いたが、1970年に掛け替えられたらしい。

ここから少し歩くと「無字の碑」という石碑があった。
高遠出身の政治家の伊澤多喜男(1869-1949)を顕彰する石碑を建てたいと地元の人が計画した。しかし伊澤は「政治家の頌徳碑を立てるなどとんでもない間違いだ。たとえ善政を敷いたとて、人間の功罪は棺の蓋を覆って初めて表れるというではないか。頌徳碑などまかりならぬ」といって承知しなかったという。
これでますます地元の伊澤に対する情は高まり、許可をもらえぬまま字を刻まずに建てたのだという。
もうすぐ高遠閣に着く。この辺りには屋台が出ている。

高遠閣に着いた。
高遠閣の記事は「日本の建物」のカテゴリの記事として別に書く。

最後に、80年以上前に出版された観光ガイド「高日本風光:信濃及濃飛両越等高日本地方観光案内」(高日本社/1937年)から高遠の桜の表記を引用して、高遠さくら祭りの記事を終りにする。
「高遠の櫻
高遠公園内櫻樹最も多く、園内殆ど花に埋まる。而も樹種は他地方のものと全然異なる小彼岸櫻で、高遠櫻と命名され、縣の天然紀念樹として指定されて居る。其純林叢數千株に及、雅到に富める老木の姿態と、淡紅を含める艶麗の花色とは、兩々相俟つて、艶美なる上に、花雲を隔てて西駒の白雪を望む所、實に天下の稀觀、日本一の稱も溢美でない。花期は四月中旬から五月上旬まで咲き亂れ、地方人士第一の行樂のみならず、都會地方からも、態々遊覧の客少くない。市では櫻樹保護の爲に随分努力をして居る。猶公園中央に此地出身有力者池上秀畝、矢島一三、廣瀬省三郎、小松傳一諸氏の寄附に成れる高遠閣の大建物が新築され、花時等眺望矚休憩の場所充てられる。」
花の期間は現在より遅く、4月中旬から5月上旬と書かれている。
「高日本」とは聞きなれない言葉だが、山々の連なる標高の高い地方を呼ぶ言葉として使っているようだ。具体的には、長野県とその周辺の県の一部を指すらしい。
高日本社は松本にあった出版社のようだ。

【追記】(2024.04.17)
高日本風光の引用に、高遠閣の寄付者の名前が書かれている。その中の一人は、この書籍では「矢島一二」とあったが、他の書籍を見ると矢島一三が正しいので、上の引用の記載を一三に改めた。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません