高遠閣
高遠閣は、高遠城址公園内にある建物だ。
高遠さくら祭りの期間中は、高遠閣の1階は授乳室、二階は休憩所として使用できる。
入館料(小学生以上200円)が必要だ。(授乳室のみの利用は無料。)
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今まで入ったことがなかったのでこの機会に中を見させていただこう。
内部の撮影が可能か確認したらとってもよいとのことだったので、撮影させていただく。
玄関ホールのかべに、高遠閣の説明板が掲示されている。
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この画像では文字が読めないと思うので、以下に書き写す。(漢数字は算用数字に置き換えた。)
高遠閣(登録有形文化財)
建設目的 観光施設
建設年月日 昭和11年12月落成
建設寄付者 池上秀畝氏 矢島一三氏 廣瀬省三郎氏 小松傳一郎誌(四氏共 高遠町出身者)
建設協力者 廣瀬常雄氏(当時の高遠町長)
規模 峯高 60尺 延坪 240坪 二階大広間 二百畳敷(廊下含め)
登録有形文化財指定 平成14年8月21日
高遠閣改修(構造補強及びバリアフリー工事)
平成15年10月着手 平成16年10月完了
所有及び管理 長野県伊那市高遠町
伊那市長
「高遠町誌 下巻」(1979)によると、最初に高遠閣の構想が出たのが1933年(昭和8)のことだったという。東京高遠会の有志が会長の小松傳一郎(弁護士)の事務所に集まって「高遠城跡に会館を建て、町民の集会や観光客の便に供することが、高遠町発展のために有意義ではないか」という話が出た。
小松傳一郎が中心となって建設の運動を進めていたのだが、1934年10月に中止ということになってしまった。当時の伊那毎日新聞には「期待された高遠閣遂に中止 公園への建設を官憲に阻止され」との見出しが見られる。伊澤多喜男が県知事に反対意見を伝えたことが影響したらしい。
一時は中止となったものの、その後の小松らの活動により、高遠閣は建設されることになった。小松傳一郎、池上秀畝(画家)、廣瀬省三郎(鉱山業)、矢島一三(出版業)の4人が工事費の13,000円を寄付したという。小松は他に経費の5000円を自己負担した。
建物の設計は伊藤文四郎(旧赤穂村役場の設計者だ)が担当し、竹内三郎が棟梁として建設に当たった。
玄関ホールから右側の廊下を見た。救護室やトイレ、それから当日は一般公開していなかった部屋がある。
この廊下の突き当たりを左に曲がると階段がある。
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しかし主に使われるのはこちら、玄関ホールの階段である。
この階段から二階に上がってみよう。
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階段を上ったところ。二階の廊下があり奥へ進むと大広間がある。
係員以外立入禁止になっていたが、階段の左側は応接室(現在は研修室)がある。
![](https://studio-sakyo.jp/wp/wp-content/uploads/2024/04/takatokaku05.jpg)
二階の廊下から見た桜。
屋根の形は、昔の高遠城の本丸の櫓の形をもとにしたものらしい。
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ここが大広間だ。
正面にステージがある。テーブルと椅子が並べられ、桜祭りの期間中は休憩に使えるのだが、有料のためほとんど人がいない。(おかげで大広間の写真が撮りやすかった。)
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ステージ側から撮影した大広間。この写真の左・正面・右側三方に廊下がある。廊下から園内の桜が眺められるので、来館者は大広間より廊下で休憩することを選んでいた。
廊下にもテーブルと椅子が設置されていた。
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玄関ホールに戻ってきた。
![](https://studio-sakyo.jp/wp/wp-content/uploads/2024/04/takatokaku09.jpg)
玄関を出ると、登録有形文化財のプレートが頭上にある。
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高遠閣正面。
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最後の写真は、高遠城址公園を出て道路から撮影したもの。
![](https://studio-sakyo.jp/wp/wp-content/uploads/2024/04/takatokaku12.jpg)
この記事を公開した時点では、2024年高遠城址公園さくら祭りは終了しているので、今年は休憩所としての高遠閣公開も終了した。
さくら祭り以外の時期は、高遠商工観光課に申請書を提出して申し込めば建物を利用できるそうだ。
【参考】
「高遠町誌 下巻(自然・現代・民俗)」(高遠町誌編纂委員会編/高遠町誌刊行会/1979)
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