「学徒開墾」
日輪舎について調べているときに、戦前の資料で南安曇農業高校の農場について触れている資料は何かないかと思い、国立国会図書館のデジタルコレクションを検索した。
戦前の名称は「南安曇農学校」だったので、そちらで検索。
自宅でも見られる資料は、4件だけだった。
そのうち3件は官報で、農学校の設置認可や、学科設立などの告示。
最後の一つが「学徒開墾」という冊子だった。
学徒動員の一環だと思うのだが、「学徒開墾」という用語が使われているのは初めて見た。学徒開墾を検索しても、出てくるのは長野県のこの資料だけ。長野県独自の用語なのだろうか?
発行したのは長野県経済第一部耕地課。
内容は、
第1章 学徒集団未墾地開発計画概要
第2章 学徒開墾事業実施要項
第3章 学徒開墾感想文
という構成である。
冊子の発行は昭和20年6月22日となっているが、実際の事業は昭和18年度に行なわれたものである。その後学生に作文を書かせて取りまとめたもののようだ。
以下に、実施要項を引用するが、カタカナはひらがなに置き換え、旧字体も現代の字体に直して、必要に応じて送り仮名や句読点を補った。また漢数字も算用数字に適宜置き換えた。引用部分のみ文字色を変更する。
第一節 男子中等学校集団未墾地開発計画
一、目的
現下食料の自給困難なる情勢に鑑み、之が緊急対策として学徒の勤労協力に依り未墾地の開墾を急速に実施し、以て食料増産を図ると共に決戦下学徒の心身鍛練に資せんとす。
二,開発計画
(1)面積 300町歩
山林、原野、荒地等の集団地を目標とす(地区別内訳別紙第1表の通り)
(2)工事期間
昭和18年 自8月中旬 至10月下旬
(3)実施方法
(イ)事業主体 各男子中等学校報国団
(ロ)動員 別途計画によるも宿泊を原則とし寝具、食器及び食料は各自持参とす。
(ハ)労力 開発に要する労力は延べ人員180,000人を要する予定にして、之に対する動員可能見込み延べ人員185,800人となり地区に依りては一部トラクター、抜根器及び畜力等を利用するものとす。
(ニ)農機具 開発に必要なる農機具中前記のものは県において目下計画中なり。開墾鍬は一部購入の予定なるも極力生徒の自家用各校備品又は他より一時借用之に充つ。
(4)事業予算碑
総予算額 202,650円 内訳(事業費 195,000円、事務費 7,650円)
(5)開発指導
イ、耕地課 農政課 教学課
ロ、地方事務所
(6)耕地計画
開発地の維持経営は原則として各中等学校之に当たるものとす。
右趣旨により開発の遅速及び地区の状況に応じ肥料、労力を考慮し逐次本年度は小麦、来年度以降は馬鈴薯其の他の食糧作物を作付するものとす。
(以下、項目のみ示す)
(1) 男子中等学校集団開墾地利用計画
(2) 所要種子入手計画
(3) 肥料計画
(4) 生産計画
(5) 経費予算
(6) 開発地経営指導
実施方法のところに「トラクター」の文字が見えるが、実際に使われたかは不明。掲載された写真には手作業の場面しかない。
また、耕地計画のところに「開発地の経営は原則として各中等学校が之に当たる」とあるので、作物を育てるのも学校の仕事にされていたようだ。
別表として「地区別面積」と「学校別面積」が掲載されていたので、地区別面積の方を以下に掲載する。
郡・村・地区名 | 参加中等学校の範囲 | 校数 | 人員 |
南佐久郡 南牧村野辺山原 | 南佐久郡各校 | 3 | 1050 |
北佐久郡 軽井沢町追分原 | 北佐久郡各校 | 6 | 1400 |
小県郡 長村菅平 | 上田市、小県、埴科、更級、上高井各校 | 13 | 3950 |
諏訪郡 泉野村上原山 | 諏訪市、岡谷市、諏訪郡各校 | 4 | 1150 |
上伊那郡 南箕輪村大芝原 (同)伊那町小黒原・横山 | 上伊那郡各校 | 5 | 1950 |
下伊那郡 下條村親田 | 飯田市、下伊那郡各校 | 4 | 1580 |
西筑摩郡 木祖村西山 | 西筑摩郡各校 | 2 | 600 |
南安曇郡 有明村有明原 | 松本市、東筑摩郡、南北安曇郡各校 | 11 | 3950 |
上水内郡 芋井村飯綱原 | 長野市、上水内郡各校 | 5 | 1900 |
下高井郡 平隠村志賀高原 | 上水内郡の一部、下高井、下水内郡各校 | 4 | 1050 |
計10地区 | 57 | 18580 |
この後、学校別の表も掲載されているが、全ては掲載し切れないので、南安曇郡の学校に限定して表を掲載しておく。
学校名 | 出動可能見込み人員 | 開発面積 |
松本中学 | 600 | 80反 |
松本第二中学 | 600 | 80 |
松本市立中学 | 100 | 15 |
松本商業 | 600 | 80 |
東筑摩農 | 450 | 70 |
東筑摩西部農 | 150 | 20 |
南安曇農 | 450 | 70 |
南安曇蚕農 | 300 | 40 |
南安北部農 | 100 | 15 |
大町中 | 300 | 40 |
北安曇農 | 300 | 40 |
計11校 | 3950 | 550 |
同様に、女子の計画も掲載されているので引用する。(カタカナ、漢数字、旧字体を置き換えた)
女子の場合は表題が男子と異なり「報国農場」となっている。
第二節 女子中等学校報国農場開発計画
一、目的
現下食料の自給困難なる情勢に鑑み、之が緊急対策として学徒の勤労協力に依り未墾地の開墾を急速に実施し、以て食料増産を図ると共に決戦下学徒の心身鍛練に資せんとす。
二,開発計画
(1)面積 70町歩 (内訳別表1の通り)
(2)期間
昭和18年 自8月中旬 至10月下旬
(3)実施方法
イ 事業主体は各中等学校報国団とす
ロ 日帰りとす
ハ 器具は自家用又は備品を使用す
(4)事業予算費
総予算額 29,800円 内訳(事業費 28,000円、事務費 1,800円)
(5)開発指導
イ、耕地課 農政課 教学課
ロ、地方事務所
3,耕種計画
1,種子 県又は農会に於いて斡旋す (略)
2,肥料 配給肥料の外、自給肥料(堆肥、草木灰)の増産確保並びに石灰の施用
3,生産 (略)
4,開発地経営費予算 (略)
5,開発地経営指導
イ、農政課、農水産課
ロ、農事試験場、県農会、郡農会、地方事務所
女子の表は学校別だけなので引用掲載しないが、全部で51校の名前が掲載されている。対象となっている農場の所有者を見ると、官有・村有農場だけでなく、個人所有の農場も対象に入っていた。
国立国会図書館デジタルコレクション上では「学徒開墾」という表記のある資料はこれしか見つけられなかったのだが、この呼び方が長野県だけだったのか、よく分からない。
NHKの戦争証言アーカイブに戦前の「日本ニュース」の映像があるのだが、そこには青森県の開墾がニュースになっていた。ただこちらは、「学童も、その親も、勤労奉仕に一つになって」とあるので、学校が主体になったわけではないと思う。
他県でも学徒動員の作業の中に開墾作業は入っているが、「学徒開墾」という用語は検索しても見つけられなかった。
この言葉を初めて聞いたので、とりあえず自分の覚えとして書いてみた。
記事中の写真は全て、「学徒開墾」からの引用である。
文部科学省のサイトに教育の歴史がまとめられているが、昭和13年6月の「集団的勤労作業運動実施ニ関スル件」から始まり、学徒動員体制が進められていく様子が書かれている。「学徒戦時動員態勢確立要項」(昭和18年6月)、「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(同年10月)、「決戦非常措置要綱」(昭和19年2月)と閣議決定がされている。文部省からも指令が出され、例えば昭和19年の「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」(4月)、「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(7月)などの指令がなされている。
19年8月には「学徒勤労令」「女子挺身隊勤労令」が公布され、更に動員が強化された。
そして昭和20年3月には「決戦教育措置要項」を閣議決定し、昭和20年4月から21年3月までは、国民学校初等科以外は全て学校の授業を停止するというところまで行ってしまう。
もう中等・高等教育は放棄されたのである。
【参考】
・国立国会図書館デジタルコレクション 「学徒開墾」 (注:末尾に追記あり)
・NHK 戦争証言アーカイブ 日本ニュース 第210号(昭和19年6月8日)
・文部科学省 学制百年史 「戦時教育体制の進行」
——
【追記】(2023.09.01)
過去記事を見返していて気付いたのだが、デジタルコレクションの「学徒開墾」が、いつの間にか「国立国会図書館内限定」に切り替わっていた。この記事を書いた時には自宅で見ることができたのに。(だから引用部分が多い記事を書いた。)
【さらに追記】(2023.09.02)
自分はその部分は全く引用していないのですっかり忘れていたのだが、記事を読み直して「その後学生に作文を書かせて取りまとめたもののようだ」とあるのに気付いた。一般公開でなくなったのは、それぞれの作文の著作権の関係かもしれない。
【追記3】(2024.05.14)
最初の追記で「学徒開墾」の資料が国立国会図書館限定となったと書いたが、本日再確認したところ、「送信サービスで閲覧可能」に切り替わっていた。
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