大阪市電気局の建物(3-前編) 電気科学館と防空

2021-03-20

前回触れた、大阪市電気科学館の話題です。
1932(昭和7)年の末に発案され、1934(昭和9)年に着工、1937(昭和12)年に開館した建物です。

いくつか戦前の書籍を見たところ、「防空」の文字に目が止まりました。
複数の書籍に書かれていたので、引用します。(引用部分だけ文字色を変えてあります。旧字体は新字体に置き換えました。)

まずは、電気科学館が建築中に出版された書籍、「電灯市営の十年」です。

電気科学館
 電気普及館、市電の店のほかに、より一層完備せる大規模の陳列所を設立し、一つには電気科学に関する博物館たらしめ、一つには電気に関する百科陳列所として、市価の統一品質の改善に資すべく昭和七年度に予算を確立し、地を四ッ橋々畔に卜して目下工事を進めつつある。尚此処には非常時防空用の軍事設備が施されることになっている
(「電灯市営の十年」大阪市電気局編 昭和10年 p61)

防空と聞いて戦前の「防空法」を思い出したのですが、防空法の公布は1937年の4月でした。しかしそれ以前から防空演習は行なわれていたようです。

例えば、1928(昭和3)年に出された「消防と防空智識」(静岡県消防連合会浜松支部)の中では、その年に大阪で行われた防空演習(7月3日~9日実施)について書かれています。
1929(昭和4)年に水戸市で行われた陸軍特別大演習でも、防空演習のことが記されていました。

話を電気科学館に戻します。

2冊目は、電気科学館の開館直後に発行された「昭和十二年の大阪市政」です。少し長いですが丸ごと引用します。

 本市は早くから家庭電化を目指して電気知識の普及に努めて来たが、一層これを拡大強化するため約二百万円を投じ、規模の大なる点に於て本邦未だその例を見ない電気科学館を、四ッ橋に建設し、三月には市民待望裡に開館せられた。これは電気知識の普及向上、電気利用の促進を図るとともに、電気科学の原理的な方面に於ては、その将来進むべき指標を示して電気事業の健全なる発達に資し、併せて産業の開発と生産能率の増進に貢献せんとするものである。

 今その全貌を概観するに、一階は電気機械器具の市場品を陳列販売し、二階は弱電、無電の応用方面を、三階は電力、電熱の応用方面を、四階は照明に関する方面を展示し、五階は電気に関する原理方面を瞭然たらしめ、六、七、八階はこれをブッ通して、東洋唯一のプラネタリウム(天象儀)を据附け、その電気科学の粋を集めた装置を以て、天体運行の状況の如実に観察せしめる。また九階以上は防空塔として、非常時に際しては空襲監視をなし、全市十二ヶ所の防空サイレンは、ここのボタン一つで統括する。なおこの防空使命のほか、測候所とタイアップして天災非常時の予報をも行なう計画である。かくの如く本館はその使命達成に万全の施設をなすほか、その建物自体の設備にもあらゆる尖端的方法を取入れ、動力源はすべて電気とし、照明方法も最新の工夫を凝らしている。また本館に於ては別に定期刊行物及び資料の出版頒布、電気に関する各種調査研究を行ない、学校の課外教授、特に発明考案の指導並びに特許新案品の紹介に、つとめて生きた資料を提供し、以て学校教育を補い、科学教育の完成を期するものである。
(「昭和十二年の大阪市政」大阪市編 昭和12年5月 p120~121)

最後は、電気科学館の開館後半年ほど経ってから出版された「大阪市電気局事業概要」から。

本館は本市の中枢地たる四ッ橋に位置し、近世式鉄骨鉄筋混凝土造にして、地下一層、地上八層を有し、その屋上東隅には更に塔屋七層を設け、左の施設を為せるものである。
地階 大衆食堂、電気機械室、その他
一階 陳列所
(…中略…)
七階 観覧者休憩室
八階 事務室
塔屋九階 屋上遊歩場
塔屋十、十一、十二、十三、十四,十五階、防空塔
 本塔屋はこれを都市防空施設に当て、防空兵器その他参考品の陳列に供し、特に十三階は本市防空警報用サイレン網の司令室、十四回は空中監視室として、一朝有事の際は灯火管制塔に関し本市防空上の重要施設となり、又平時に於ては午報並びに災害警報の用に任じている
塔屋々上 神宮遥拝所
(「大阪市電気局事業概要」大阪市電気局庶務課編 昭和12年12月 p90~92)

というふうに、それぞれの資料に当然のことのように防空について触れられていたのでした。

以前、別のポップアップカードを作ったときも、公共建築で防空の話が出てきたことを思い出しました。見返したところ、大牟田市庁舎がそうでした。高射銃の台座、防空監視哨などが残っているそうです。

大牟田市庁舎の建築は1934年に始まり、1936年に完成しています。
調べていないので想像ですが、昭和初期に地方自治体に対して、公共建築に防空設備を設けるよう、軍から指示とか要請があったということなのでしょうか。

ちなみに私がつくった大牟田市庁舎のポップアップカードの写真を載せておきます。メインサイトの掲載ページはこちら。当時、型紙公開はしませんでした。

大牟田市庁舎は一時期解体の話が出ていたようですが、白紙に戻されたようです。(2020年4月)
西日本新聞記事の記事を見つけました。
(大阪の話で始まったのが福岡の話になりました。)

今日の記事は「大阪市電気局の建物(3-前編)」となっています。後編は、電気科学館のポップアップカードの話になる予定…です。

歴史・資料

Posted by Sakyo K.