旧赤穂村役場(1)

長野県駒ヶ根市にある駒ヶ根市郷土館を訪問した。この建物は1922年に赤穂村役場として建てられたものだ。

現在は、駒ヶ根駅から西に3.8kmほどの位置にあるが、もともとはもっと東、国道153号線の旧道(1922年当時は県道長野飯田線)の近くに建てられた。1914年に開業した赤穂駅(現在の駒ヶ根駅)からも500mくらいのところである。

駒ヶ根市が発足したのは1954年、当時の上伊那郡赤穂町・宮田町・中沢村・伊那村が合併して発足した。ただし、2年後に宮田は分立して宮田村となっている。
地図には、1922年当時の自治体名を入れてみた。

赤穂村は1940年に赤穂町となったので、村役場も「赤穂町役場」と呼ばれるようになった。そして1954年の駒ヶ根市発足に伴い、「駒ヶ根市役所」になった。
新しい市庁舎が建てられた後の1971年に現在の場所に移築され、郷土館として開館した。
私は建設時の名称を優先して「旧赤穂村役場」と書いているが、駒ヶ根市では「旧駒ヶ根市役所」と呼んでいる。

この建物ができる前に使われていたのは、1890年(明治23)に建てられた役場だ。建物が傷み、また手狭となっていたため、1912年(大正元)に調査委員会を設置し、財源の検討や設計の審議を始めた。
設計は4人に依頼して競争設計とし、伊藤文四郎の案が採用された。

伊藤文四郎は1882年(明治15)、東伊那村(1898年に伊那村と改称)の生まれ。一度就職した後、工手学校(工学院大学の前身)に学び、その後渡米してカリフォルニア大学で建築を学んだという。1914年に卒業、帰国して設計事務所を開設した。

伊藤の設計した庁舎は、「近世コロニアル式ニシテ、内部ノ一部ニ近世ルネッサンス式ヲ加味シタルモノ」(工事報告より)であった。役場は1920年(大正9)に着工し、1922年10月に竣工。11月9日に開庁式が行われた。

さて、中に入ってみよう。

奥は廊下のようなスペースになっていて左右に展示物が掲示されている。

突き当たりを左に曲がると、廊下の左側に考古資料室がある。
ここは、役場時代は食堂だった部屋らしい。

廊下を少し進むとホールがある。
左手前に少し見えているのは、もとは宿直室だった展示室。
右側には2階に上る階段があり、左側が正面玄関になっている。

正面玄関に移動してホールを見ると、このように見える。この建物で私が一番好きな場所だ。

先に二階に上がってみる。私は左の階段を選んだ。
階段を上って左を向くと、短い廊下があって、その左に正庁がある。式典や儀礼などで使われた大広間だ。

正庁に入ったところ。向かいのドアは、反対側の階段に繋がっている。
この写真では右側が建物の玄関側だ。

左側の壁面はこのようになっている。式典等ではこちらが正面になるはずだ。
この2本の柱は、おそらく1階の階段のところの2本の柱と繋がっているのではないかと思う。

窓は「パラディアン窓」と呼ばれるスタイルらしい。アーチ型の窓が中央にあり、左右にやや細い窓が並んでいるのが特徴だという。

正面の柱の上部。

私が入ってきた入口。

向きを変えて、正門を見下ろす。今は出ることができないけど、ここは正面玄関の上のベランダになっている。

反対側の階段を下りてホールに戻る。

1階に下りて廊下を進むと、大きな部屋がある。役場時代は事務室だった部屋だ。
奥にカウンターがあって、役場時代はそこで来訪者に応対したのだろう。

入って右手を向くと、演台のようになっている。
もと事務室だった部屋には似合わないものだが、いったいこれは何だろう…?

説明を見ると、実はこれはもともとこの部屋にあったものではないのだ。
(つづく)

【参考】
「駒ヶ根市誌 現代編上巻」(1979年/駒ヶ根市誌編纂委員会編/駒ヶ根市誌刊行会)
・駒ヶ根市博物館のパンフレット(2023年5月入手)

甲信越地方

Posted by Sakyo K.