吾妻橋
前回の記事で載せた蘭川発電所の写真の1枚は橋の上から撮影した。
この橋の名前は吾妻橋。
合併して南木曽町になる前、ここは吾妻村だったので、地名から橋の名前が付けられたのだろう。
橋を渡る前、北東側(蘭川の右岸)から撮影した写真。
この写真では、左側が蘭川の上流で右側に蘭川発電所がある。
橋の名前はその場で分かった。
ひらがなで「あづまはし」と書かれている。橋を渡って南西側の親柱を見るとそちらには「吾妻橋」と漢字で書かれていた。
北東側のもう一つの親柱には橋の竣工年が書かれていた。
画像では分かりにくいと思うが、「昭和貮拾八年参月竣功」の文字が書かれている。つまり「昭和28年3月竣功」だ。
これを見る前は、もしかして戦前の橋かも…とも思ったのだが、戦後の橋だった。
最後の銘板の内容は、私は知らなかったので意外だった。
「國道拾九號線」と書かれていたのだ。なんと、この橋は国道19号線の橋であった。
現在の国道19号線は地図のように通っているのだが、1986年(昭和61)頃にここの交差点は改良工事を受けている。改良前はどのように道が通っていたのだろうか。
旧地形図を元に作図してみた。
1965年(昭和40)頃の状況を描いてみたが、精密な地形図ではないのでそのつもりでご覧戴きたい。
当時の国道19号は、図のように吾妻橋を渡って、蘭川発電所の南側を回って木曽川沿いを西に通っていた。南の妻籠宿(地図外)の方から吾妻橋に至る道路は、1963年に国道に制定された。
また、鉄道も現在の位置ではなく、読書発電所の横を通っていた。
それ以前の道路の状況も分かる範囲で図にした。
1910年(明治43)頃の状況だが、前年に中央西線が開通したばかりだ。
発電所はまだ造られていない。
見ていただきたいのは「賤母新道」という道路だ。これは当時のさらに20年ほど前に開通した道路である。
1882年(明治15)、長野県令大野誠は、県内の主要道6路線を馬車が通行できる道に改修するという案を県会に提出した。審議の結果1路線を加えた7路線を整備することになった。
木曽路もその中に含まれており、鳥居峠と馬籠峠を改修することにしたが、馬籠峠の改修案が傾斜が強く距離も長いので、木曽川沿いに新道を開くことになった。これが賤母新道と呼ばれる道路だ。
道路の開設費用は国の補助と地方税、そして住民の寄付金によっていた。当時西筑摩郡(後の木曽郡)で2734人が寄付に応じ、郡の目標達成率は98%と県内最高であった。寄付といっても実態は県からの強要みたいなものだったらしいが。
新道は1890年(明治23)6月に起工し、1892年7月に完成した。
この道路が作られた時に、吾妻橋も新設されたというのだ。(正確な竣工年が分からなかったので、図では1892年頃と記載した。)
どのような橋だったのかまったく分からないが、おそらく木橋だったであろう。
なお、後には地区名として「吾妻橋」という名前が出てくるので、橋ができた後に地区名にも使われるようになったのではないかと思う。
吾妻村は、賤母新道の工事に際し多額の寄付金を出し、そのうえ道路敷となる土地も村で買い上げてそれを献上した。
また妻籠宿から賤母新道への道も、村で新たに開いた。
さらに村にとって苦しかったのは、それまで国道とされていた旧中山道が、1892年に里道とされてしまったことだった。道路補修の費用を村で負担しなければならなくなったのだ。
また、賤母新道開通後は旧中山道の通行数が減ったので沿道の宿場の経営も苦しくなり、村はせめて県道に指定して欲しいと要求したが、なかなか認められなかった。
何度も申請をしたのだが、旧中山道が県道になったのは1941年(昭和16)のことだったという。
話を吾妻橋に戻す。
賤母新道が開通した1892年には、初代の吾妻橋も完成していたことは分かった。
その後の橋はどのような状況だったのだろう。
1904年(明治37)に蘭川で土石流が発生し、吾妻橋は落橋したという記録が残されている。
流失後は当然、橋は再建されたはずだ。
今のところ他に橋が流されたという記録は見つけられていないので、流されたのがこの一度だけとすれば現在の橋は3代目ということになるのだろう。1953年に国道19号線の橋として吾妻橋は架け替えられた。
これは上流側から見た吾妻橋の姿だ。奥にある建物は民間企業の社屋で、現在吾妻橋を使うのはこの企業の社員の方と、あとは発電所に行く職員の方だけなのだろうと思う。
私も発電所を見るために社屋の前の通路を通らせてもらったが、道路ではなく私有地のような感じだったので心配しながら歩いたのだった。
最後に、現国道から見た蘭川発電所の写真を掲載する。
矢印で示した位置が、おそらく旧国道の跡なのではないだろうか。
【参考】
「南木曽町誌 通史編」(南木曽町誌編さん委員会/1982)
「南木曽町誌 資料編」(南木曽町誌編さん委員会/1982)
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