旧飯田測候所
11月に飯田測候所を訪れた。
訪れたのが午後4時頃だったので、植木の影が庁舎にかかって見づらい写真になってしまった。そこで外観の写真は昨年5月に撮影したものも併せて使用する。
旧飯田測候所の外観。
この建物は1922年(大正11)12月に完成し、翌年の1月から観測を開始した。
2002年(平成14)に飯田市高羽町(たかはちょう)に観測所が移転するまで79年間観測を続けた建物である。
右側の測風塔は1960年(昭和35)年に鉄筋コンクリートで建て替えられたものだ。それまでは木造の測風塔が建っていた。
庁舎は平屋建て瓦葺きで正面に車寄せを設け、屋根には塔屋を載せている。
無料で内部の見学ができるので入ってみよう。
確認したら内部も撮影可能とのことだった。
2011~13年に耐震改修工事が行なわれたので、床や壁面など内装は新しくなっている。
ドアや窓枠などの建具類は建設当時のもの。
展示室には気象観測に使った機器や、測候所の歴史を説明したパネルなどが展示されている。
この写真の機器は地震観測装置だ。
では測候所の歴史をみていこう。
1895年(明治28)~96年に、下伊那郡長や地元有力者が、養蚕と気象に関係があるからと地方測候所の設立を県に要請した。1896年の県議会で可決され、県は測候所設置を文部大臣に申請してこれが認められた。長野県は、下伊那郡上飯田村東野にあった下伊那郡立農事試験場の敷地内に測候所を設立した。庁舎は農事試験場の建物を借用し、1897年8月から観測業務を開始した。
これが飯田測候所の始まりである。
1904年(明治37)に農事試験場が廃止されたため以後は敷地建物は測候所のものとなった。
ところが1919年(大正8)年、問題が発生した。
伊那電気鉄道が飯田への延伸工事を進めていたのだが、その線路が測候所の近くを通る予定であることが判明したのだ。振動で地震計への影響が出ることが懸念されたので、測候所を移転することに決めた。
それで現在地に建てられたのがこの庁舎である。
1921年12月着工、1922年12月竣工。観測業務は1923年1月1日から開始した。
観測機器は建物の振動の影響を受けないよう、独立した基礎に設置されていた。
これは晴雨計の柱を立ててあった基礎だそうだ。
これは別の部屋。もとは気象観測室という名称だが、現在は会議室として使われている。
1960年(昭和35)に測風塔が建て替えられ、1966年には第2庁舎が測風塔の手前に建設された。
2002年(平成14)に観測所が移転するまで、この庁舎で観測が行なわれた。
その後、2007年に飯田市が建物を取得し、2011~2013年に耐震改修工事などを行なった。(第2庁舎は解体された。)
2014年に市民・行政が協同で環境活動を推進する拠点として使われるようになった。会議室等の利用は申し込みが必要だが、常設展示は一般公開されているので、開館時間中は誰でも自由に見学することができる。
建物は、2012年に国の登録有形文化財に登録された。
庁舎と測風塔。測風塔は現在閉鎖されているので、上ることはできない。
庁舎の背面。壁面から突き出ている部分はトイレだ。
これは庁舎の西側にある倉庫である。庁舎と同じ1922年に建てられたものだ。
飯田下伊那地域で最初の鉄筋コンクリート造の建物だそうだ。
倉庫の隣には、飯田藩の時代の脇坂門が建っている。門と倉庫が近いので、見ていてちょっと落ち着かない。
この門は、江戸時代にはこの近くあったのだが、1869年(明治2)に今の飯田市美術博物館の近くに移築されたらしい(異説あり)。
2014年(平成16)に、元の場所に近いということでここに再移築されたそうだ。だから測候所を新築する時にはここにはなかったということになる。
敷地にはソメイヨシノの木がある。1948年から2004年まで、飯田の開花宣言に使われていた木だ。現在は開花宣言は行なわれなくなったが、毎年花見客が訪れるそうである。
旧測候所の敷地の東側には遊具のある公園があり、その南側は芝生の広場になっているので、市民の憩いの場になっている。
【参考】
「飯田測候所・創立百年」(石川直/「気象」491号掲載/日本気象協会/1998)
「旧飯田藩馬場調練場の門(通称脇坂門)」(飯田市文化財保護情報サイト)
旧飯田測候所常設展示
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません