旧開智学校再公開
11月9日、松本市の旧開智学校が再公開を始めた。
2021年6月から耐震工事を行なっていたので、3年以上休館していたのだ。
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報道によると初日は休日だったため行列ができたそうだ。
私は混雑を避けて平日に訪問した。
敷地の西の入口でチケットを購入し、校舎の正面を歩いて東側にある玄関に来た。
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玄関の前に「観覧心得」が立てられていた。
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スリッパの履き心地についてまで書いていて笑ってしまう。最後の一文だけは急に丁寧な口調になってお願いをしているので、これは真面目に受け取らないといけないのだろう。
校舎の撮影はできるが、資料の撮影はしないでほしいとのことだ。
そんなわけで、資料以外の部分だけ写真を掲載する。
玄関から廊下を歩いて最初の左側の部屋。この部屋は、以前は机が並べられて教室を再現していたような記憶があるのだが、今回は耐震工事の資料が展示されていた。
奥の壁の左にあるのは壁の補強の模型。構造合板で補強をしている。右側は天井の貼り方の説明。
天井は紙を6回重ね貼りしたのだそうだ。
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立入禁止となっている回り階段。写真の右側の丸太柱は、全久院というお寺を解体してその柱を使ったのだそうだ。
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このあたりが校舎の中央になる。私が立っているのが正面玄関の内側。
天井の照明がかっこいい。
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西側の階段。木造建築の階段は私の好物。
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最後はこのように階段を曲げて折り返している。
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2階の一番大きな部屋がこの講堂。実際はもっと黄色の照明だったのだが、カメラのオートモードで撮影したら写真では白く写った。
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その講堂の向いにある、塔へ登る入口。ただいま閉鎖中。
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耐震工事で塔も補強したので、今後人数限定で塔屋や小屋裏を公開するのだという。
その見学会は、まずは11月17日と12月1日に予定されていて、各回10人限定で1日4回行なうという…のだが。
昨日の11月10日が申し込み開始だったのだが、もう定員に達して申し込みは終了してしまった。
これはしばらく見ることはできそうもないな。
12月に耐震工事報告会があるそうなので、こちらに参加してみようかと思っている。(これはまだ申し込みが始まっていない。これも競争率高いのかな。)
何年ぶりに旧開智学校に入ったのか覚えていないが、耐震工事で建物の見た目を変えるわけにはいかないから、内装も以前の雰囲気のままだった。
展示物については以前より少なくなった印象だ。まあ展示は今後変更していくのだと思うが。
土日の混雑はなかったものの、それでも以前よりは見学者は増えたと思う。これがいつまで続くか、今後に期待したい。
見学を終えて外に出た。校舎の外観を撮影して歩く。
玄関部分の天使たち。
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いつかは登ってみたい八角形の塔屋。私が登る機会はあるのだろうか。
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最後はちょっと別の話。
庭の片隅に碑が立っている。左側は「明治天皇行幸所開智学校」、右側は「明治天皇御駐蹕之處」と書かれているのだが、これを見る度に考え込んでしまう。
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この校舎は1963年~64年にかけて移築修理工事を行なった。
明治時代にはもっと南、女鳥羽川沿いの場所にあったのだ。校舎移築の際に石碑も移築したのだろう。
左側の碑は天皇が訪問した学校であるということだから、主語が「校舎」だと考えればまだ分かる。だが右側の碑の意味は「天皇の乗り物を留めたところ」である。建物ではなく場所についての碑なので、これを動かしてしまうと石碑の意味はどうなるのだろう。
もともと開智学校があった場所には今も「旧開智学校跡地」の碑が立てられているので、「駐蹕之處」の碑もそちらにあった方がいいような気はするのだけれど。
まあ今更私が移した方がいいとか言っても誰も相手にしないだろうが。(というか私も本気でそんなことをすべきだと思ってはいない…。)
実は、明治天皇が訪れた場所や建物は昭和初期に史蹟に指定されていたのだが、戦後の1948年に「新憲法の精神にそぐわない」として全国の377件の史蹟指定が解除されたのだ。
開智学校も史蹟に指定されていたが1948年に指定解除された。だが石碑は残されている。
他の地域の記念碑も多くは残っているそうだ。
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