飯田創造館閉館

この3月末で、飯田創造館が閉館となった。
開館中に訪れる機会を逃してしまったので内部は見ることができなかったが、外観だけでも見ておこうと思い訪問した。

玄関には「45年間ありがとうございました 令和7年3月31日 長野県飯田創造館」の文字が掲げられている。
玄関の内部にはパネルが立てられ、過去の飯田創造館の写真が展示されていた。

飯田創造館は、長野県が県民が芸術文化活動に参加する機会を提供するために1979年に開館した施設である。各種団体の創作活動や研修会、展覧会などの会場として使われてきた。
しかし2022年に長野県は、飯田警察署の建て替えとともに南信運転免許センターを風越公園に整備する計画を立て、飯田創造館は閉鎖することを決めた。

地元では反対の声もあり、例えば利用者有志が飯田創造館を支える会を作って存続を訴え活動してきた。しかしその会も2024年11月に解散をした。

飯田創造館の外観。

実は私は今まで知らなかったのだが、この玄関は3階にあるのだ。

玄関の左側に少し手すりが見える。
写真では分からないがここに坂道があり、建物は玄関前よりも低い地面に建てられているのだ。

これがその坂道。車が通れる幅ではない。

坂の途中で振り返って撮影した写真。中央のやや上に見える庇が玄関だ。
その下の壁面には2階と1階の窓が見える。

更に坂を下って振り返って撮影したのがこちらの写真。
けっこう急な坂なのが分かると思う。

創造館の東側を野底川が流れており、建物は写真のような場所に建っている。写真の右端が、私が下ってきた坂道だ。
創造館の西側は段丘になっており、二階建ての建物くらいの標高差がある。

橋を渡って対岸を歩いて建物の東面を見る。

創造館の計画は1975年頃から検討された。県民が主体性を持って行なう創造的文化活動を側面から援助しつつ、地域分かの発展のよりどころとなる場を提供することを考えたという。
調査結果に基づき、1978年12月、飯田市で建設工事が始まった。
鉄筋コンクリート4階建てで、建築面積が 365㎡、建築延面積は 1520.85㎡だった。

実は創造館はのち、1999年から2000年に増築をされているので、上の面積は増築前のものだ。
上の写真で、右側の3階建て部分が後に増築された部分である。

再び川を渡り、建物の近くへやって来た。これは建物の南面である。
なんか思ったより薄い建物に見えるな。

建物の2階の高さまで石垣が積まれている。この石垣の上が風越公園であり、創造館の玄関と繋がっている地面だ。

1階の東面にある通用口。

再び坂を上り、公園側から撮影。

もう、この建物の解体は決まっている。4月上旬に建物の除却工事の入札が行なわれる予定で、6月ころから解体が始まる見通しである。
飯田創造館の閉館後に文化芸術活動を支援する施設としては、市内の南信州広域連合会館(旧地場産業振興センター・旧工業技術センター)と隣接施設の内部に文化芸術活動支援センターを設置するという。支援センターは5月1日に開館する予定である。

最後に石碑の写真を載せる。

創造館ができる前、この地には飯田風越高等学校があった。(1976年に現校舎に移転。)
飯田高等女学校は、飯田風越高校の前身のひとつ。2つの旧制高等女学校が統合されて1949年に飯田風越高校となったそうだ。石碑は1977年10月に高校の同窓会が立てたものである。

甲信越地方

Posted by Sakyo K.