旧座光寺麻績学校(2)

2023-08-19

旧麻績学校の内部の見学を終え外に出た。こちらは建物の背面側だ。
前の記事で書いたようにこちら側の面は中二階があるので3層構造になっている。しかし1階部分には窓が全くない。

建物を開けていただいた国際糸繰り人形館の方に、見学を終えたことを伝えに行った。

そこで「よみがえった舞台校舎」という冊子を購入した。2003年の発行。

舞台の前を通り過ぎる。中の照明が点いているのが見える。

「よみがえった舞台校舎」によると、保存修復工事が完了した1997年(平成9)4月、この舞台で大鹿歌舞伎が上演されたそうだ。
私は、保存修復工事する場合に創建時の姿に戻すことが多いのは、歴史の蓄積を消すように感じてしまい賛成できないことがある。しかしただ保存するのではなく建物を使い続けることができるのあれば、それが一番良いだろうと思う。

さて、訪問時は全く存在を知らなかったのだが、この後私は麻績学校の玄関を見つけることになるのだ。

旧麻績学校を出て、元善光寺の方に歩いていった。旧麻績学校の東側には「飯田市麻績の里交流センター・麻績の館」という建物があるのだが、その入口に案内板が立っていた。

近づいてみると、「県宝旧座光寺麻績学校校舎玄関」と書いてあるではないか。

「長野県宝旧座光寺麻績学校校舎正面中央にあった切妻造の玄関である。校舎創建当時には玄関はなく、明治40~42年の校舎増築の際に敷設されたものである。欄間の彫刻に見るべきものがあり、平成7年の復元工事で明治初年の校舎の姿に戻されたため、麻績の館に移設された
飯田市教育委員会」

文字が消えかかっているのが心配だが、玄関はここに移設されていたのだ。

これが、旧麻績学校の玄関だ。

こういう形で残すことにしたんだね。できれば、記録を伝えるために消えかかった文字を手直ししてほしい。

さて、以下は帰宅後の調査である。

旧麻績学校の中に保管されている、門扉について。

1965年に発行された「座光寺学校沿革史」を見ていたら、開校90周年の時に撮影した写真に門扉が写っていた。

写真を引用できなかったので、前回使った写真に想像で門扉を書き込んだ。想像図なので厳密な再現ではない。

なお、門柱も現在はこの位置にない。下の道路からこの敷地に上がる階段の左右に移設されたようだ。

***

最後に、麻績学校の校舎・校名の変遷をまとめる。

図は、座光寺学校沿革史に掲載されたものをもとに簡略化して描いた。正確な作図ではないので概略図として見ていただきたい。

校舎建築前の1872年(明治5)、座光寺村は如来寺に第三十二小校を開校した。
1873年、学制に従い麻績小校と改称。この年の9月に校舎の建設が始まった。
1874年4月に新校舎での授業が始まった。
1875年(明治8)に座光寺村を含む6村が合併し上郷村となる。学校名は麻績学校となった。

1876年に、同名の学校が別の地域にあるということで筑摩県から改名するよう通知があり、島学校と改称された。

その後も村の編成替えはあったのだが、1889年(明治22)には新しい市町村制度が敷かれ、分離して座光寺村となった。以後、1956年に飯田市に合併するまで座光寺村が存続する。
学校名は座光寺尋常小学校となった。

1894年には高等科を設置して座光寺尋常高等小学校となる。
1895年(明治28)に、雨天体操場を建設するため、校舎を曳家で移動した。内部の教室配置も変更された。また、玄関前に枝垂れ桜が植えられた。この桜は今も建物の前にある。(

図にはないが、1898年(明治31)に第1次校舎拡張工事が行なわれた。体操場が移転し、裁縫場や教員住宅が建設された。また校地を広げるために南側に大石垣を作った。

1907年(明治40)から第2次拡張工事が行なわれる。
2階建ての校舎(8教室)が新築され、体育館も新築された。舞台校舎への玄関増築が行われた。

1927年(昭和2)から第3次校舎拡張工事が行なわれた。校庭を拡張し、南側に校舎を新築した。南校舎は大石垣の下側に建てられ、南校舎の2階と北校舎の1階が渡り廊下で接続された。

1937年(昭和12)には裏山を削り新体育館を建設した。
1941年、校名を座光寺国民学校と改称。

戦後、1947年に座光寺小学校となる。
1956年(昭和31)にプール完成、同年町村合併により飯田市立座光寺小学校となる。

1976年に撮影された航空写真。

座光寺小学校は1984年(昭和59)1月に、別の場所に建設された新校舎に移転した。
旧校舎は学校としての歴史を終える。同年、舞台校舎と体育館以外は解体された。

舞台校舎は1985年に長野県宝に指定され、保存修復工事が計画された。
1995年(平成7)から工事が始まり、1997年に完了した。
南校舎があった場所には、公民館や飯田市座光寺支所が建設された。
1998年に開館した竹田人形館の建設に際し、舞台校舎以外の学校の建物は姿を消した。

)【追記】(2023.08.18)
学校沿革史に植樹の話が書いてあったのでそのまま記載した。しかし、飯田市の公式サイトに「明治28年入学時に〝前ノ桜満開〟という記述が学校日誌にある」と書いてあるのを見つけた。つまりこの時点で桜はある程度の大きさがあったのではないかということになる。校舎前の桜は飯田市天然記念物に指定されているが、飯田市は「植えられた年代については諸説ある」としている。
観光サイトなどでは〝樹齢350年〟と書いてあるものもあるが、根拠は分からない。

【参考】
「座光寺学校沿革史」(飯田市立座光寺小学校・座光寺小学校開校90周年記念事業実行委員会/1965)
「よみがえった舞台校舎」(麻績の里振興委員会編/麻績の里振興委員会・飯田市教育委員会2003)

甲信越地方

Posted by Sakyo K.