旧ダニエル・ノルマン邸
旧長野師範学校教師館の隣に建っているのは、旧ダニエル・ノルマン邸だ。
カナダメソジスト派の宣教師、ダニエル・ノルマンは1902年から1934年まで長野で布教を行なった。(ノーマンと表記されることもある。)
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この建物はノルマンの住居として1904年に長野町内に建てられたものである。ダニエル・ノルマン自身の設計により、長野町内の棟梁・内田繁三が建築した。
ダニエル・ノルマンの息子のハワード・ノルマンが著書「長野のノルマン」(福音館書店 / 1965)に次のように書いている。
「われわれの家はこの市街地の西南端にあった。この家は57年間宣教師団の所有であったが、今は売却されてしまった。けれどもまだ家そのものは残っている。この家は1902年に父が母を伴って来たとき、従来の日本家屋の陰鬱で雑然とした構造を改めて、新しい明るい合理的なものを持ちたい、という母の意見に従って、父が工夫をこらして建てたものである。」
「玄関は1階の北側にとり、つづいてまれにしか使わない小さな応接室と廊下があった。同じ北側に薄暗い部屋があって、その中の一つの棚には伝道に使う聖書や小冊子を納めてあり、ほかの棚は食料品の貯蔵庫にしてあった。(…中略…)
二階には、ずっといくつかの部屋があって、北側にはちょっと薄暗い来客用の寝室、浴室、衣類用の納戸などが並んでいた。平常多く使われる部屋はすべて南側にとってあった。サンルーム、リビングルーム,食堂、炊事場は一階に、寝室と子ども部屋は二階にあった。」
実用的だったかどうかは分からないが、階段を使わずに二階に荷物を上げる滑車を作るなど、ダニエルは自分で工夫した「装置」もいろいろ設置したらしい。後に住んだ宣教師の家族が「ここには珍しいカラクリのような装置がたくさんとりつけられていて、家が好きになった」と手紙に書いている。
内部は公開されていないので、外観だけ見学する。
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玄関部分。
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南側に回って見る。建物の南は林になっているので近くからしか撮影できなかった。
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「新住宅」1969年1月号に、移築前の旧ダニエル・ノルマン邸が掲載されていた。この写真を見ると、南側にテラスが付いていたことが分かる。
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このテラスの手摺りの形は、この写真に写っている部材に似ている。
もしかしたら旧教師館に置いてある部材は、ここのテラスの手摺りなのではないかと思う。
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平面図を見ると、このドアは食堂に入るドアのようだ。
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広角レンズで写すとこんな感じ。食堂のドアの上には、バルコニーが作られている。
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食堂の前から、東を向いて撮影。
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こちらは西側の壁面。
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建物を一周した。
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ひし形の窓を近くから撮影。
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ダニエル・ノルマンは約30年間この家に住み伝道に従事した。1934年、70歳になって家を後進の宣教師にゆずり軽井沢に移住した。ノルマンの別荘があった軽井沢の小道には、現在「ノーマンレーン」という名が付けられている。
彼は日本に骨をうずめるつもりだったが、日中戦争の拡大により反英米世論が高まり、1940年カナダに戻った。
旧ダニエル邸は後に売却され、1969年まで北野建設株式会社の副社長が住居としていた。
1971年7月に飯綱高原に移築し、その際に瓦葺きを鉄板棒葺きに変えている。71年12月に県宝に指定された。
建物は会社の厚生施設の一つとして社員が利用したが、現在は使われていないようだ。
北野建設が旧師範学校教師館の移築を申し出たのは、すでにノルマン邸移築に着手していたことも理由の一つらしい。飯綱高原に明治村のように古い建物を集めた場所を作ろうと考えていたようだ。
【参考】
「長野のノルマン」(W. H. ノルマン著・平林広人訳 / 福音館書店 / 1965年)
「新住宅」1969年1月号(新住宅社)
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