旧長野県師範学校教師館

旧長野県庁舎からバードラインを東に600m程移動し、バス停がある交差点を左折、次の角を右折すると、この建物がある。


旧長野県師範学校教師館だ。
もともとは長野市内、現在長野市立図書館になっているところにあったのだが、保存のため北野建設が1971年に移築再建した建物だ。

教師館は、隣にある旧ダニエル・ノルマン邸とともに1971年12月に長野県宝に指定された。
道沿いに説明板が建てられている。
左に見えるのが教師館、右側の奥に見えるのが旧ダニエル・ノルマン邸だ。

1872年(明治5)に学制が公布され、全国に学校が開設されていく。学制が公布される前から、旧長野県・旧筑摩県ともに学校設立準備を進めていた。
小学校の設立が始まった時、教員不足は深刻で、両県ともに1873年に師範講習所を開設した。最初は大量速成的な教員養成であった。旧長野県では10月から講習を始め、翌年末までに345人に小学校仮免許状を交付した。
1874年には寺を借りて運営していた講習所だったが、1875年(明治8)に新校舎を建設し、長野県師範学校と改称した。

写真の教師館は、この時に師範学校の教師館(管理棟)として建てられたものだ。設計施工は東京から招かれた棟梁、尾野川清吉が担当した。

窓は上げ下げ窓になっている。また、玄関扉の上部には半円形の窓がついている。
屋根の軒の飾りも特徴の一つで、バージボード(軒先レース飾り)が用いられている。この飾りは、長野県においては最初に使われた例だと言われている。

建物の横を見ると、ベランダがついている。
移築前の写真には写っていないので、移築後に設置されたものなのだろう。

斜めに設置されているベランダ。(後述)

建物の背面も見てみよう。

ちょっと失礼して、中をのぞかせてもらう。
中央に見えるドアが、階段室に繋がるドアらしい。
右側には手摺り(?)のような木材が置かれているが、どこの部材だろう。

さて。
1878年(明治11)、明治天皇の北陸東海巡幸があり、長野県も訪問した。

私は以前上田街学校の記事で明治天皇巡幸に触れたが、その時の巡幸である。9月7日に上田街学校に泊まった天皇一行は、8日長野町に到着、善光寺大勧進に宿泊した。

9日は、長野県庁、勧業物品陳列場、師範学校、長野裁判所、城山公園などを訪問している。

画像は、1907年発行の「長野県師範学校学友:37号」から引用した、巡幸当時の師範学校である。この号は、御巡幸三十年紀念号とタイトルが付けられ、1878年の長野県内の巡幸の様子をまとめている。

中央にあるのが本館で、左側に少しだけ見えているのが教師館だ。教師館の2階が、明治天皇の座所として使われた。
当日は(現在の)長野市・上田市・坂城町にある4校から〝優秀な〟生徒30名を選抜して集め、授業を行なっている。

あっ。
この写真を見て今気付いた。本館と教師館の二階が短い渡り廊下で繋がれている。つまり、現在ある「ベランダ」は、本来はベランダではなくて渡り廊下だったということか。多分そうだ。今のベランダは渡り廊下を再現したものなんだろう。それなら斜めになっている理由も納得できる。

1887年(明治20)、現在の信州大学教育学部のところに新校舎が建設され、師範学校は移転した。しばらくは旧校舎は中学校として利用されたようだ。その後食堂は解体、寄宿舎は1901年に焼失して、本館と旧教師館(事務所と呼ばれていた)のみが残っていた。

1929年(昭和4)、本館を解体して県立図書館が建てられた。旧教師館は敷地内を50mほど移動して「行幸記念館」と名付けられた。

記念館だった頃の写真が残っている。(1938年出版の「明治天皇と御巡幸」より引用。)

戦後は県の行政機関などが入って建物を使用していたが、老朽化のため1969年には空家となったようだ。

1969年。県の監査で、旧教師館の解体が決まった。
1970年7月8日、解体工事が始まった。県教育史編纂主任、前図書館長や市文化財委員、県史編纂委員などの有志が集まり図書館や県と解体中止の交渉をしたが、話がまとまらない。
北野建設の社長が建物を引き受け、解体から移築工事に切り替えることによって保存が決まったそうだ。
1971年7月に長野市の飯綱高原に移築復元が完成した。同年、長野県宝に指定され、現在に至っている。

最後の話題だ。
1938年の書籍に掲載された写真をもう一度見ていただきたい。建物の前に石碑が立っている。
実はこの石碑は今も、この場所・現在の市立図書館の敷地に存在するのだ。
(県立図書館は1979年に長野市若里に移転し、この場所には1985年に長野市立図書館が開館した。)

石碑の正面には「明治天皇行幸之処」、横には、「昭和十二年九月九日建之」「此ノ処、明治十一年九月九日聖駕行幸ノ地ニシテ長野縣師範学校趾ナリ」と記されている。

これは現在の長野市立図書館だが、矢印のところに今も石碑がある。

【参考】
「長野県師範学校学友:37号」(長野県師範学校学友会/1907年)
「明治天皇と御巡幸」(渡辺幾治郎著/長野市聖徳記念会/1938年)
「長野県政史第1巻」(長野県/1971年)
「長野師範初期の校舎をめぐって」(中村一雄著/1971年頃)
「長野県史 美術建築資料編2(建築)解説」(長野県編/長野県史刊行会/1990年)

甲信越地方

Posted by Sakyo K.