旧長野県庁舎
今年の8月、長野市の飯綱高原にある旧長野県庁舎を見に行った。(相変わらずブログに書くのが遅いのは許していただきたい。)
昨年の10月に長野県から、旧県庁舎の有効活用について活用事業者を募集するという告知があった。今年の7月に、長野市内の長野ホテル犀北館に決まったという報道を見たので、見学に来たのだ。
旧長野県庁舎は1913年(大正2)に竣工した庁舎で、県庁建て替えのために1964年に解体され、翌年庁舎の正面部分が飯綱高原に移築された。
県が「ホテル明鳥閣」として運営したが客足が伸びず、1973年に閉館した。その後は「自治研修所」となって県職員の宿泊研修施設として利用されたが、老朽化のためボイラー設備の不具合があり2013年度から使用されなくなっていた。
休止にあたって施設活用の内部検討を行なったが希望する部局はなく、その後長野市にも活用検討を依頼していたのだが、時折映画やドラマの撮影に使われたことがあったくらいで、継続的な活用方法は見つからなかった。
2019年にも活用案を民間に募集したが実現につながる案は出なかったようだ。
私は2022年の県の募集を見て知ったのだが、建物は県のものでも、土地は長野市からの借地だというのだ。買い受けた業者は、長野市と新たに借用契約を結ぶか、建物を解体・移動しなければならない。
今回見学に来た一番の理由は、このような状況なので建物が残る可能性は低いと思ったからである。
長野ホテル犀北館は、部材を活用するという方向らしいので、解体して部材を別の場所で使うのだろう。
ながのフィルムコミッションのサイトを見ると、2025年頃までは撮影の相談ができるそうなので、解体は2026年くらいになるのではないかと想像する。
中には入れないので、外側だけ見させてもらう。
玄関部分。車寄せの柱ががっしりしている。
柱を立派に作った割には、正面玄関のドアが小さいなと思う。
横に移動していく。
壁に何か付いているんだが?
蝉の抜け殻だった。
西側の壁面。
背面は、ちょっと荒れている。手前の右側の部分はおそらく浴場だったのだろう。
ここは玄関の裏側に当たる位置。ステンドグラスがあった。
ブルーシートが掛けられているところもある。
これは建物の東側。
一周して正面玄関前に来た。
正面のドアのガラス越しに、内部を撮影した。中に入りたかったが、もうそういう機会はないのだろうな。
1913年(大正2)に出版された「長野県案内」に当時の県庁舎の写真が掲載されていた。県土木課の設計で、土木課長の野田六次らが担当したという。施工は宮本組が当たった。
起工は1909年(明治42)12月で、1913年9月に竣工し、10月10日に開庁式が行われたそうだ。
旧県庁舎は、新庁舎を建てるため1964年に解体された。
実は、旧県庁舎は別の場所にも移築されていたのだ。
一部は岡谷市に移築されて塩嶺記念館となり、のちに塩嶺鳥獣保護センターと改称された。
一部は木曽の日義村(現:木曽町)に移築されて木曽駒高原レクリエーションセンターとして利用された。ホテル駒王と呼ばれることもある。
しかしどちらの建物もすでに解体されてしまい、今は存在しない。
具体的にどの部分がどこに移築されたのか調べたら、食い違う資料が出てきて困ってしまった。
2003年に長野県から出されたプレスリリース「旧塩嶺鳥獣保護普及センターの建物解体に伴う一般公開と移築希望者の募集をします」には、この図と逆に右側が塩嶺記念館となったように図示されていた。
しかし「我が郷土・その限りなき発展のために」(相沢武雄著/1968年)の方が、移築後すぐに書かれているし、移築面積も記されているので、その記載を優先して作図してみた。
本によると、移築部分と新築部分の面積は、
・飯綱観光会館(ホテル明鳥閣)移築545坪 新築93坪
・塩嶺記念館 移築115坪 新築86坪
・木曽駒高原レクリエーションセンター 移築40坪 新築394坪
とあった。
文章でも「旧庁舎の北の部分を塩嶺峠に記念館として移築」「まだ建物の東北の部分は残るので、この部分を木曽に持って行き、木曽駒高原レクリエーションセンターとして保存」と書かれている。
それに基づいて私は上のように作図をしたが、もしかしたら間違っているかも知れない。
【参考】
「我が郷土・その限りなき発展のために」(相沢武雄著/信毎書籍印刷出版部/1968年)
「長野県史 美術建築資料編2(建築)解説」(長野県編/長野県史刊行会/1990年)
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