ベトナムとキリスト教
(メインサイトは12月11日に更新しましたが、ブログ更新は遅れました。)
ベトナムの建築のポップアップカードを制作した。今回は、キリスト教会を選んだ。
写真は、ハノイにあるハムロン教会をモデルにしたポップアップカードである。
19世紀後半、現在のベトナムにはフランスが進出し、植民地化していった。
植民地時代に建てられた西欧建築が、現在もベトナムに残っている。
ベトナムでキリスト教の布教が始まったのは1533年のことだという。儒教や仏教が強かったベトナム社会の中で徐々に勢力を広めてきた。
19世紀の阮王朝はキリスト教を禁止し、1847年に即位した嗣徳帝はフランス人宣教師2名とスペイン人宣教師2名を処刑した(1851年から1857年にかけて)。これに対してフランスのナポレオン3世は、宣教師殺害の賠償を口実にして1858年にスペインと共同で軍隊を派遣、翌年にはサイゴンを占領した。
1862年には阮朝と講和条約(サイゴン条約)を結び、現在のベトナム南部を割譲させた。フランスはその後も植民地を拡大していき、1887年にはベトナム、カンボジアをフランス領インドシナとし、さらに1899年にはラオスを保護国化して編入した。
フランスは植民地化にあたり、キリスト教会を優先して各地に建てたようだ。
先に掲げた写真のハムロン教会は、現在の建物は1934年竣工だが、教会の起源は19世紀末だという。ハノイには他にも、1886年に完成したハノイ大聖堂(セント・ジョセフ教会)、1930年に完成したクアバック教会(北門教会)が有名で、この3つはハノイの主要教会と言われている。
植民地時代はキリスト教徒は優遇されたので、信者は増加していった。
1945年に第二次世界大戦が終わると、ホー・チ・ミンはベトナム独立宣言を出してベトナム民主共和国の誕生を宣言した。
しかしフランスとの交渉はまとまらず、1946年から第1次インドシナ戦争が始まった。
1954年にフランスはジュネーブ協定に調印し戦争を終結させたのだが、1950年から加わったアメリカが協定に参加せず、ベトナム共和国(南ベトナム)を成立させた。ここからベトナムの南北分断が始まる。
北ベトナムは共産化したので、カトリック信者の多くは南に逃れたという。南ベトナムの初代大統領となったゴ・ディン・ジエムはカトリックの信者だったのだ。(だが彼は仏教など他宗教を弾圧したのだけれど。1963年の軍事クーデターで殺害された。)
北ベトナムは、南部の政権を転覆するために武力解放戦争を決議し、1960年頃から南ベトナムでゲリラ戦を行なっていく。アメリカは1965年から本格的に軍事介入をして、爆撃を行ない、地上軍を投入した。(ベトナム戦争)
ここで2枚目の写真。タムトア教会跡のポップアップカード。
タムトア教会は1886年にベトナム中部のドンホイに建てられた教会だが、1965年2月にアメリカの爆撃で破壊された。
のちにベトナムは、この廃虚を戦争の証拠としてこのまま残すことに決めたのだ。
アメリカ軍は73年に撤退し、75年に南ベトナムの首都サイゴンが陥落、北によるベトナム統一が行われ、ベトナム戦争は終結した。
統一後のベトナムは、宗教を制限する政策をとった。
憲法では「信教の自由」は認められているが、愛国心、公民の義務が前提とされ、政府に認可された宗教組織のみが合法的に活動できるというものである。
当時は、国家公認宗教として、仏教、カトリック、プロテスタントの3つだけが認められた。
ただ、ドイモイ(1986~)以後は、国の政策はだんだんゆるめられ、ベトナムの宗教と信仰は盛んになってきた。
カオダイ教、ホアハホ教といったベトナム生まれの宗教も公認され、現在は12の宗教・33の団体が国家公認宗教団体となっている。
カトリックの信者は、およそ600万人だという。
参考
・「現代ベトナムを知るための60章」今井昭夫・岩井美佐紀編著 2012年第2版 明石書店
・「社会主義ベトナムにおける宗教と政治─国家公認宗教団体を通して─」1999年 今井昭夫 Qaudrante No1掲載
・「目で見る世界の国々(27) ベトナム」メアリー.M.ロジャース著 青山保訳 1995年 国土社
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