旧松井田町役場訪問

2023-04-27

群馬県安中市にある、旧松井田町役場を訪れた。
松井田町役場は1955年に着工、1956年3月に竣工した。1954年に、(旧)松井田町・臼井町・坂本町・西横野村・九十九村・細野村の6町村が合併して、新たに松井田町が発足したところだった。
合併の記念事業という意味も込めて、新庁舎が建設されたそうだ。設計は白井晟一である。
当時、モダンな庁舎として他町村からの見学者も多く、町の象徴であったという。

1992年まで役場として使われ、その後は2017年まで公民館や文化財資料室などとして利用されていたが、現在は閉鎖されている。

役場は道路から少し丘を登ったところに建てられたので、建物前の敷地はそれほど広くはない。

1975年の航空写真では役場の北側は農地だけである。右上に少しだけ見える道路が国道18号線。

建物に近づくと、標識ロープが張られ、立ち入らないよう注意書きが掲示されていた。「見学者の皆様へ」とあるので、それなりに見学者もいるのだろう。

2006年に松井田町は安中市と対等合併して安中市となったので、現在の管理者は安中市教育委員会である。

玄関には「建物内見学不可」の貼紙が。

横に貼ってある掲示物も読みたかったのでズームで撮影。

耐震強度不足のため内部見学はできないという貼り紙。その横は建物の説明が掲示してあった。

「(…前略…)設計は『建築界の哲学者』とも呼ばれた白井晟一(1905~83)が担当し、地方の農村に突然現れたモダンな建築物の姿を、当時の新聞は『畑の中のパルテノン』『目を見はるギリシャ神殿風』などと表現しています。かつて群馬県内には、旧松井田町役場のほかに知宵亭ちよいてい(高崎市)と煥乎堂(かんこどう(前橋市)の2棟が、白井設計の作品として知られていましたが、いずれも現存しておらず、この建物は県内に唯一残る白井設計による建築物となります。(…後略…)」

左側へ回ってみる。

奥へは入れないが、軒下が破れているのが見えた。

この角度から見ると、テラス部分が湾曲しているのがよく分かる。

こちらは向かって右側の部分。倉庫?かなあ。

横へ回りこむ。この東側の土地は役場時代は駐車場だったところだが、作業されている方がいらして、今では個人の土地のように思われた。

撮影しながら端を歩いていたら、その働いている方から「畑に入って写真撮っていいよ」と声を掛けていただいた。ありがたい。畑の端を歩き建物の裏側に回る。

北東側から撮影。

北側の様子。右奥の建物は別棟になっているようだ。

北側の窓にも円を並べた装飾が付いていた。この円の並び方、等間隔じゃないんだねえ。意図的に間隔をずらしているようだ。

正面から見ているときは意識していなかった。改めて正面から見たら、正面のテラスの装飾も、等間隔ではない。

2021年に渋谷区立松濤美術館で展覧会「白井晟一入門」が開催された。残念ながら行くことができなかったので図録だけ取り寄せたのだが、松井田町役場も掲載されている。
それによると、白井自身はパルテノン神殿からの影響は否定している。
それよりも、遠くに見える浅間山、目の前の妙義山と正対する位置に町民の殿堂を建設するという配置プランだったそうだ。

これも図録で知ったのだが、1953年、朝鮮戦争に際して軍備増強のため米軍が浅間山と妙義山周辺に米軍演習場を造るという計画が持ち上がった。長野県と群馬県は反対の住民運動を起こし、1955年に計画はなくなったのだという。
図録には「白井が松井田町役場を民衆の殿堂と位置づけたのは、大地に根ざした生活を守ろうとする住民のたくましさ、彼らの内部から湧き上がるエネルギーを見いだしたからではないだろうか」と記されている。

旧松井田町役場は、現在保存の要望が出されており、今後の方向は未定のようだ。

関東地方

Posted by Sakyo K.