日光東照宮の建築(後編)

2023-04-27

日光東照宮の御本社を出たところからです。
この建物は御本社の横にある「祈祷殿」です。

ここから奥宮に向かいますが,「眠り猫」をアピールしてます。もう表示が「眠り猫入口」になっちゃってますよ。眠り猫に入るわけじゃないですけどね。下を通るだけ。

でも猫には逆らえません。通路が狭いのでゆっくり立ち止まれず、慌てて撮影。

裏側には雀さんも居ますのよ。

石段を登り始めて振り返ると,屋根が重なっていい雰囲気です。

奥社までの石段は207あるとのことですが、階段の一段ごとに一枚石が使われています。傾斜部分の石柵は,笠も柱も土台も(パーツを組み合わせるのではなく)一枚石をくりぬいて作ったのだそうです。寒さの厳しい日光の,冬の凍て上がり防止のためだと言われています。

登って行くと立て札が。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 急ぐべからず 東照宮御遺訓」と、有名なお言葉が書いてあります。この坂ですから,急げません。のんびり登ります。人生ももう余生をどう過ごすか考える年になりました。

といいつつあと少し。鳥居が見えました。

下の建物がきらびやかなのに比べて、奥社の方は渋い雰囲気です。鳥居は銅製なので緑色になっています。
鳥居の脇には「奥社銅神庫」があり、これも外部が銅板で覆われています。こんな雰囲気ですよ。なんかカッコいい。

銅神庫が建てられたのが承応3年(1654年)。江戸時代には,朝廷から贈られた家康公の位記や宣旨、家康公着用の南蛮銅具足など、最も重要な宝物が収蔵されていたんだそうです。
鳥居の方は,最初木造で次に石像に替えられ,慶安3年(1650年)に唐銅製の鳥居となりました。唐銅というのは、金・銀・銅の合金のことを言うらしいです。

奥社拝殿は,御宝塔に参拝するための社殿で,将軍だけが昇殿参拝を許されていたのだそうです。拝殿は黒漆が塗られた銅や真鍮で包まれて、毛彫が施されています。

この拝殿の後ろに唐門があり,その奥に御宝塔があります。唐門も慶安3年(1650年)の作で、唐銅製。
御宝塔は徳川家康公の墓所です。昭和40年の東照宮350年祭を機に公開されたと書いてあったので,それまでは非公開だったのですね。現在は御宝塔の塀の外側を歩いて回ることができます。

これで奥宮まで参拝できたので,あとは下りますが、まだ寄るところがあります。

陽明門の下を横に入ったところに「本地堂」(薬師堂)があり、「鳴き龍」が有名だそうです。ここは東照宮の敷地内ですが,神仏分離令で輪王寺と東照宮が切り離された時に輪王寺の管轄となったので、神社ではなく寺院と扱われています。
鳴き龍ですが,内部の天井に龍が描かれているのです。龍の顔の下で拍子木を打つと,共鳴して鈴が鳴るような音が響きます。顔の下から別の場所に移動して拍子木を打っても共鳴しないんです。実際に中で拍子木を打って説明してくださいました。

あとは敷地内に東照宮美術館もあるのですが,別料金だったので入りませんでした。

道を少し下って,最後に宝物館を見学します。

写真は,宝物館の向かいにある「御仮殿」です。本社を修理するときに、祭神を移してお祀りしておく建物です。この建物は寛永16年(1639年)に建てられたもので、仮殿が常設されているのは,東照宮だけなのだそうです。

こうして日光の一日目は終了しました。

(次回は、神輿渡御祭です。)