矢原堰沿いに走る(1)
安曇野には多くの用水路があるが、その中のひとつに矢原堰(やばらせぎ)がある。
完成したのは承応3年(1654)のこと。犀川から取水する横堰としては最初のものだという。(縦に水を流す堰は中世から存在していた。)
堰は等高線に沿って穂高神社の近くまで続き、総延長は8.3kmあるという。
この日午前中に拾ヶ堰の花見サイクリングをした私は、昼食後に矢原堰の取水口のところまで自転車を走らせた。
ここには4つ石碑が建てられている。(写真に写っているのは3つ)
一番奥は、矢原堰開鑿に尽力をした臼井弥三郎の頌徳碑。昭和11年(1936)建立。
次が矢原堰県営改良工事の竣工記念碑。昭和49年(1974)建立。
手前の石碑は、1988年に完成した豊科インターの建設に伴う水路変更や、その後の圃場整備を終えた記念に平成4年(1992)に建てられた。
写真には入っていないが、地域の歴史文化研究委員会が平成20年(2008)に建てた説明の小型の石碑もある。
今回も、写真撮影位置を地図にしたので、ご覧頂きたい。
これは昭和11年(1936)に建てられた頌徳碑。
矢原の庄屋・臼井弥三郎が松本藩に堰の開鑿を何度も申し出たのに断られたので、自分で磔柱を作って建てて決死の覚悟を示し、工事の許可を得たという話が書かれている。
昭和天皇即位を記念して、昭和3年に地域の過去の人物を顕彰するということをしており、臼井弥三郎も従五位を授けられたので、その後に石碑が建てられたようだ。
石碑の建っている場所から、取水口を見下ろす。左の犀川から取水して、右側に流れていく。
少し南に移動して、犀川沿いから撮影。左が写真③の取水口。右側の水門で水をため、左の取水口に誘導している。
堰に沿って走り出す。桜の下で自転車を撮影。
花びらが風に舞っている。
住宅地の中を流れる堰。先に堰があって、住宅地として開発されたのが後だ。
水路はあちこちで分かれたり合流したりしている。
左側に見えるのは、安曇野インターチェンジの進入路の壁。高速道路建設工事に伴い、この周辺の水路が467メートル分変更されている。
インターチェンジ建設前後の航空写真の比較。1988年8月に開業した当時は豊科インターチェンジという名前だった。豊科町は2005年に他の4町村と合併して安曇野市が誕生し、インターチェンジ名は2012年に安曇野インターチェンジに変更された。
奥に見えるのが高速道路。この水門では3つに水路を分けている。
堰に沿って車道がない部分もある。徒歩や自転車なら通行可能。ただ、自転車では走りにくい場所もあった。
このあたりは、車道と歩道・自転車道が分けられているので自転車にとっては走りやすい。
ここは舗装はされていないが、自動車も入れる車道となっている。
ここは豊科北中学校の近く。
ここまでが前半。後半は次の記事で。
(つづく)
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